五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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ロシアの詩人・パステルナーク原作【ドクトル・ジバゴ】                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          黙示録の赤い龍(共産主義社会)に対峙するキリスト教の運命                                                            ドクトル・ジバゴを通して見る黙示録的なソビエト・ロシアの現代史


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■ ドクトル・ジバゴの4人の主要人物について■
 
ユーリ・ジバゴ( 医師で詩人、小さい時に父母を失う )
  
ラーラ ( 学校の教師で看護師 )
  
パーシャー ( 学校の教師で革命家 ラーラの夫)
  
コマロフスキー( 弁護士でラーラの母の愛人、後にラーラを
            愛人にしょうとする。) 


◆ 上記動画は、ロシアの詩人パステルナーク原作の『 ドクトル ジバゴ 』です。 パステルナークは、父親が高名な画家で、あのトルストイとも親交があって、トルストイの本の挿絵を描いていたという逸話が残っています。また母親は、子供の頃から音楽の才能があり、ピアニストで、パステルナークはそんな芸術家の家系に生まれた人です。この作品は、ラーラのテーマ音楽でとても有名な映画なので特に説明は必要ないと思いますが、簡単に登場人物の説明をしたいと思います。

◆ 上段写真の中で左側の口髭を生やしている目の大きな男性が、この物語の主人公の医師である『 ドクトル ジバゴ 』です。そのジバゴ医師の右側にいる女性がジバゴにとって愛人となる『 ラリーサ 』と言う女性で、物語の中では通称『 ラーラ 』と呼ばれています。ラーラは、物語の最後には、強制収容所に送られて最期を迎えることが暗示されています。

◆ ジバゴは、『 トウニャ 』という奥さんがいるのですが、運命的な出会いを通して『ラーラ』とも関係を持つようになります。また『 ラーラ 』の母親は、自分のパトロンで愛人の『 コマロフスキー 』が自分の娘『 ラーラ 』と関係を持ったことに疑いを持ち、自宅で自殺未遂を起こした時に、ジバゴは母親のその自宅で『 ラーラ 』と始めて出会っており、その後ドイツとの戦争の時に、戦場で看護師として働く『 ラーラ 』と始めて面識を持つことになります。

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( 左側の白いドレスの女性が、ジバゴの本妻にあたるトウニャと言う女性です。トウニャは、ジバコが赤軍に拉致されて行方不明になった後に、最後はモスクワ経由でパリに息子と亡命します。それから、右側の黒服で金髪の険しい顔の女性がラーラで、弁護士のコマロフスキーを殺しに来た時のシーンです。 )

◆ 次に中段の写真で『 ラーラ 』と一緒に写っている左側のメガネをかけた若いピュアな男性が『 パーシャ 』で、彼は学校の教師であり、また革命軍兵士の男性で、『 ラーラ 』の婚約者であり夫となる人です。パーシャは27歳でラーラは、17歳です。

◆ そして下段の赤いドレスを着た『 ラーラ 』と一緒に写っている壮年の男性が、弁護士の『 コマロフスキー 』と呼ばれる人物です。コマロフスキーは、実は『 ラーラ 』の母親を愛人として、母親の仕立てやの零細企業を援助しているパトロンで、物語の中では、その母親との関係のみならず、娘である『 ラーラ 』も愛人とするようになってゆきます。

◆ そして『 ラーラ 』は、『 ラーラ 』で革命運動家である『 パーシャ 』が婚約者なのですが、母の愛人であり、援助者であり、パトロンである『 コマロフスキー 』に侮辱されたことで、コマロフスキーに復讐するために上流階級のクリスマスパーティーの席で母の愛人コマロフスキーを射殺しょうとしする場面が一番下段の白黒の写真となります。

◆ ドクトル ジバゴの物語は、この赤いドレスを着ている女性『 ラーラ 』を中心に、三人の男性が関係をしてロシア革命と言う時代の社会変動を背景に物語が進んでゆきます。そして映画だけを見て単純に現在の日本人的な感覚で拡大解釈すると『 ドクトル ジバゴ 』とは、主人公の医師ジバゴの優柔不断な性格から来る単なる恋愛不倫映画となってしまいます。


■ ドクトル・ジバゴと新約聖書と黙示録 ■


◆ しかし、その原作となっているパステルナークの小説には、『 新約聖書・黙示録 』の様々な言葉のシンボルが使用されていて、表向きの不倫恋愛小説の奥には、黙示録で述べられている『 巨大な赤い龍 』である『 共産主義社会体制 』の人間の個人の内面の自由さえも抑圧して潰してしまおうとする大きな問題が提起されているのです。

◆ また、『 ドクトル ジバゴ 』には、キリスト教的シンボルの人物像がその名前に投影されており、『 ラーラ 』には、マグダラのマリアの姿が投影されているのです。原作のドクトル・ジバコの小説の最後には、小説とは別に独立して、【ユーリ・ジバゴの詩編】という形で、ドクトル・ジバコ全体の物語を要約するような形で詩編が語られています。その詩編の最後のほうにラーラをイメージするような表現で、マグダラのマリアⅠ・Ⅱの詩編が語られているのです。また、この詩編の中には、様々な新約聖書の場面が織り込まれているのです。

■ ユーリイ・ジバゴの詩編 

 1. ハムレット       11. 婚礼          21. 大地
 2. 三月          12. 秋            22. 悪しき日々
 3. 受難習慣に      13. おとぎばなし     23. マグダラのマリアⅠ
 4. 白夜          14. 八月          24.  マグダラのマリアⅡ 
 5. 春の悪路       15. 冬の夜         25. ゲッセマネの園 
 6. 釈明          16. 別離           
 7. 都会の夏       17. あいびき
 8. 風            18. 降誕祭の星 
 9. ホップ草        19. 夜明け
10. 女の夏         20. 奇跡

◆ 上記が、ユーリイ・ジバゴの詩編の目次ですが、全体で25章あり、全て詩文で表現されていますが、この詩編は、小説である『ドクトル・ジバゴ』を補完補足するような形で書かれているようで、小説と詩編の二つの方向から、組み合わせて、対位法で読むことによって、全体の意味が把握できるように構成されているようなのです。

◆ この詩編の目次より、新約聖書からの目次がすぐ判別できると思いますが、この詩編の目次をみても、対位法で小説と詩編を交差させてゆくことによって、見えてくるものがあるということです。パステルナークは母親がピアニストであったので、その影響で一時期音楽家を目指したそうですが、そのような音楽的素養が、小説と詩という旋律を組み合わせる技法を用いて、その和音の中に真相を隠したということらしいのです。
【13 .おときばなし】については、この『おとぎばなし』とは、ロシア正教の『聖者ゲオルギイ伝説』について詩われている内容なので新約聖書の分類となります。

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( ドクトル・ジバゴ撮影秘話2より )


■ 翻訳者・江川卓氏のドクトル・ジバゴについての説明 ■
Doktor Zhivago



ソ連邦の詩人パステルナークの長編小説。1954‐56年に完成,56年《ノーブイ・ミール(新世界)》誌から掲載を拒否され,翌年イタリアのフェルトリネリ社から刊行された。58年作者のノーベル文学賞受賞と関連して,ソ連では作品の〈反革命性〉について大キャンペーンが起こり,世界的な話題となった。

1905年のロシア革命前夜から約四半世紀の激動の時代を舞台に,個人の内的な自由の世界にとどまりつづけようとする誠実な医師ユーリー・ジバゴを主人公に,妻のトーニャ,永遠のロシアを象徴する女性ラーラとの愛の遍歴が小説の外面的筋をなす。

形式的には詩と散文の交錯する地点に新しい表現の可能性を見いだそうとしてきた作者の宿願が結晶した作品で,革命と社会主義への深刻な幻滅,宗教的な色彩を帯びた新しい歴史原理への憧憬が都市と田園の自然との交感を通してひめやかに語られる。 巻末に付せられた〈ジバゴ詩編〉は哲学詩の傑作。65年リーンによって映画化された。            

江川 卓 ドクトル・ジバゴ(原作 ボリス・パステルナーク 江川卓訳より

 ドクトル・ジバゴ(原作 ボリス・パステルナーク 江川卓訳 ㌻409~㌻410)より

   人名のシンボリカ<注釈1>

 この『ドクトル・ジバゴ』と言う作品は、けして単純なリアリズムの手法で書かれていない。それは一読したところ、革命と苦難の時代における主人公ジバゴとラーラの、こよなく美しい非恋のロマンと言った印象を与える。おそらく、この印象が誤っていることはあるまい。

 事実、作品には、そのような読み方を充分に可能にするだけのリリシズムがたたえられており、この悲しい物語に現実感を付与する日常的、時事的なデテールもリアルに再現されている。

 しかし、にもかかわらず、やはりこれは並みの小説ではない。それはまず第一に詩人の小説であり、恋愛小説のかたちを借りたその筋の運びの表層の背後には、汲みつくせないほどの象徴性の深層が秘められている。

 その深層まで分け入ることをしなければ『ドクトル・ジバゴ』の本質を理解したことにならないし、悲劇の人として世を去ったパステルナークがこの作品にこめた悲願を充分に受けとめたことにもならないだろう。

 とは言っても、この作品のシンボリカを全的に捉えきるのは、それほど容易なことではない。それはパステルナークの創作の根底には、いわば彼の書くという行為、語りかけようとする行為の原動力として捉えられているものであり、そのかぎりではきわめて自覚的、意識的な性格を持っている。

 しかし、それと同時にこのシンボリカは、作者自身にとってもいまだ不分明な要素、論理の言葉にも、比喩の言葉にも、翻訳不可能な要素を残しており、わずかに詩人の直観的な連想、詩的な文体感覚 の隙間をとおして、無意識理に作品の中に実現されているという側面をもっている。

よく引用されることろだが、第三編『スヴェンチツキー家のヨールカ祭 』の最後に、次のような芸術観が述べられている。

『 これまでについぞなかったほど明瞭に、芸術はいつの時代にも倦むことなく、二つの事物にこそ取り組んできたのだということが実感された。それは不断の死についての思索をめぐらし、まさにそのことによって不断に生を創造するものなのだ。大いなる、真の芸術とは、ヨハネ黙示録と名づけられるものであり、またそれを書きづぐところのものである。 』

 義母アンナ夫人の死に際して、ジバゴが今後の詩的創造ての指針としたこの言葉は、おそらく、『ドクトル・ジバゴ』を書くにあたってのパステルナーク自身の心構えを語ったものとして解してもよいだろう。

 とすれば、この作品のシンボリカに迫るもっとも重要な鍵はヨハネ黙示録にこそ見出されることになる。事実、アメリカのすぐれた研究者ローランド夫妻をはじめ、黙示録とのパラレルで『ドクトル・ジバゴ』を読み解こうとする試みはすでに多くなされ、充分に評価できる成果もあげている。今回の翻訳にあたっても、それらの研究に負うところが多かったことを付加しておかなければならない。

■ 参考文献
パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』における未来の表象
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51296/1/SLA0270005.pdf#search='%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%90%E3%82%B4++%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2'

■下記のマルクスからスターリンに始まる共産主義者達は、19世紀末のロシアの文学者ドストエフスキーが指摘する『悪霊』の姿である。ドストエフスキーは、ユダヤ人達がロシアで共産主義革命を起こすことを警告していた。そして小説『悪霊』を通して批判していた。しかしそのユダヤ教の悪霊は、ソ連から北朝鮮を経由して、この日本では、ソンテジャクの宗教である創価学会の最高幹部の世界まで流れて来ている。



 総体革命論や言論出版統制そして家族間の信仰・思想統制並びに創共協定や反社会的勢力との関係・他の共産主義国との外交などは、創価学会中枢の流れが、ドストエフスキーが警告した『悪霊』の流れから生まれてきていることを意味している。ソ連や中国は、始めからソンテジャクの正体に気付いていたのかもしれない。パステルナークの『ドクトル・シバコ』の社会的背景には、このようなロシア正教を破壊する共産主義社会への深い宗教的洞察が小説や詩の姿として表現されているのではないだろうか・・・・■



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【 ドクトル・ジバゴ第13章 女人像館の向い 】より

■ ジバゴ 『それじゃ、どうして家庭生活がうまくいかなかったの、そんなに愛し合っているのに?』

■ ラーラ 『 どう答えればよいのか、難しい問題ね。でも、なんとか話てみるわ。それにしてもふしぎね。わたしみたいな取柄のない女が、あなたのように聡明な人に向かって、現代の生活、とりわけロシアでの人々の生き方がどうなっているのか、あなたのところも、わたしのところもそうだったけれど、つぎつぎと家庭が崩壊してゆくのはどういうわけかなんて、今はもう人間が、個人が問題じゃないんだわ、性格の一致、不一致とか、愛情の有無とか、そんことが問題じゃないんだわ。昔から受け継がれた安定したもの、日常生活そのものになっていたもの、それぞれが自分の巣をいとなむことでおのずと成り立っていた秩序、そうしたいっさいがあの大転換、あの社会変動といっしょに宙に吹きとんでしまったのよ。

 日常の暮しは跡形もなく崩れ去って、あとに残ったのは、およそ非日常的な、ものの役にも立たない力、それこそ一糸まとわぬまで丸裸にされてしまっ魂の内奥だけなんだわ。でも、この魂の内奥にとっては何一つ変わっていないの。だってそれはいつの時代だって、寒そうにがたがた震えていたんだし、たまたま隣り合った同じように丸裸の孤独な魂に、いつも身をすり寄せるようにしていたんですものね。あなたとわたしは、天地の創造のはじめ、身にまとう何物ももたなかった最初の人間、アダムとイブと同じなのよ。その二人がいま、この世界の終末に、やはり身にまとうものもなく、住む家もなく震えているんだわ。私たち二人は、あの時からいままで何千年もの間に、この世間に創造されたかぎりもなく偉大なものの最後の思い出なのよ。消え去ってしまった数々の奇跡のいわば形見として、いまわたしたちが呼吸をし、愛し合い、泣いているのよ、お互いひしと取りすがって、肌と肌をふれ合わせているのよ。』  ㌻250~251

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ロシア正教の教えは、昔からロシア人の道徳感覚や生活様式を支えてきたものであり、それが共産主義思想によって破壊されてしまった。

◆ ジバゴ 『・・・・・・つづけてくれないか。そのさき、君が何を言おうとしているのか、わかるんだ。きみの理解はちゃんとしたものじゃないか!楽しいよ。君の話を聞くのは! 』

◆ ラーラ 『 そのとき、ロシアの土地にいつわりがやってきたんだわ。一番の不幸、未来の悪の根元になったのは、個人の意見というものの価値を信じなくなってしまったことね。自身の道徳感覚に従って行動する時代は過去になった。今はみんなが声をそろえて歌わなくちゃいけない。一律に押しつけられる借りものの考え方で生きていかなくちゃいけない。なんていう思いこみがひろまった。空疎なきまり文句、最初の帝政た派の、次には、革命派のきまり文句が幅をきかせるようになったんだわ。社会全体にひろまったこのまちがった思いこみは、だれかれなしに取りついて、取りついたら最後、金輪際離れようとしないのね。何もかもがその一色に塗りこめられてしまった。わたしたちの家庭もその害毒に抗しきれなかったのよ。どこかにひびが入ってしまったのね。いつだって屈託のない、のびのびとした空気に包まれた家庭だったのに、そこへあの愚かしい大言壮語調が忍び込んできて、わたしたちの話までが妙に大げさになるし、是が非でも世界的な大問題を理屈っぽく論じあわないとすまなくなってしまったの・・・・』 ㌻253~254




( カチューシャの歌は、ドクトル・ジバゴと直接関係ないのですが、戦時下での歌なので、何か通じるものがあるのかなと思い掲載してみました。 ジバゴは医師と言っても、戦時下の軍医でもあり、ラーラも戦時下での従軍看護師ですから、カチューシャの歌がまったく関係ないとも言えないことでしょう。二つの動画には、カチューシャダンスを踊るチャーミングな女性ですが、ソビエト軍の軍服を着て踊っています。カチューシャは独ソ戦下で歌われた曲なので、この軍服を着ての踊りや歌の形態はミリタリー文化!?なのかもしれません。それに最後の白樺林の白黒の動画は、実はタルコフスキーの初期の映画『僕の村は戦場だった。』の中のシーンです。この映画も独ソ戦を描いたものなのでカチューシャの歌に使われているのですが、確かこの動画の女性も、従軍看護師であったと思います。)

■ ユダヤ教( 共産主義社会体制 )支配下のキリスト教( ロシア正教 )信仰の運命 ■


◆ ロシア正教では、昔から新約聖書の黙示録が重要視されてきたと言われています。それはこれまで象徴的なシンボルとして表現されてきた黙示録で、その出現を予言されてきた【巨大な赤い龍】の実体が、1917年のロシア革命を通して、現実のロシア社会に共産主義社会体制として顕わされ、ロシアがキリスト教を否定する反キリストの国となってしまったことを、ロシアの多くの人々が黙示録を現実的な出来事として予感としてきたことにあるのかもしれません。 

ロシア正教会の歴史・ソ連:無神論政権による弾圧の時代
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2_%E3%82%BD%E9%80%A3%EF%BC%9A%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96%E6%94%BF%E6%A8%A9%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%BC%BE%E5%9C%A7%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3

◆ またこのことは、このロシアに出現した巨大な赤い龍でもある共産主義社会体制が実はユダヤ教が変化したものであり、その本質がユダヤ教そのものであるということを指摘した人に、ロシアの哲学者ニコライ・ペルジャーエフの共産主義に対する黙示録上の解釈がロシア正教に大きな影響を与えているのかもしれません。

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( ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルジャーエフ(1874年3月18日 - 1948年3月23日)は、ロシアの哲学者。もとはマルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。十月革命後にパリに亡命。1922年、レーニンの革命政府によって国外追放。 マルクスやレーニンの書物を「聖書」として解釈を許容するが批判は許さないこと、国民を信者と非信者に分別し、信者も正統と異端に峻別すること、異端を破門や極刑に処すること、人間に搾取や階級的不平等などの「原罪」が存在すること、貧困のない「神の国」の到来を予言することなどを挙げている。さらに、共産主義の教義がユダヤ教の至福千年王国説、救世主思想、選民思想とを指摘。 )

 江川卓訳小説『ドクトル・ジバゴ』では、ジバゴの母親の弟、ジバゴの伯父にあたる人物である『ヴェデニャービン・ニコライ・ニコラーエヴィチ』 通称『ニコライ伯父』のキャラクターについて次のように述べられています。

『 この人物には、合法マルクス主義者から宗教的色彩の強い理想主義への道をたどった二十世紀初頭の哲学者ニコライ・ベルジャーエフの面影を読み取れるとする説が有力に唱えられている。』と分析されている。』


◆ 下記の動画は、近代史研究所の落合道夫氏による説明、実はマルクス主義が、古代ユダヤ教の影響を大きく受けた宗教思想であるということを述べていますが、恐らくこれは、ロシアの哲学者ペルジェーエフの思想について簡単に述べていると思われますので、ここで掲載したいと思います。



◆二十世紀初頭のペルジャーエフの時代には、すでに黙示録の世界は、比喩的に表現された架空の世界ではなく、現実のロシアの社会が黙示録の社会に突入をしており、そのために、黙示録を科学的に研究しょうとする人々がいたと言う。それはこの黙示録がロシア正教と共産主義体制という根源的課題に対しての解答が、この黙示録の中にのあると思われ、その探求がロシア・インテリゲンチャの課題となったと言う。  ( 参考文献 ロシア宗教思想史・田口貞夫著~ロシア・ソビエトと宗教、ワノフスキー第三の契約 )





◆ しかし、【ドクトル・ジバゴ】の江川卓訳では、このジバゴという人名に秘められた象徴的シンボルを通して、ドクトル・ジバゴの小説の持つ潜在的な意義を発見して、パステルナークがこの不倫小説の奥に秘めた本当の意味について気付く必要性があると思うようになってきました。つまり、この【ドクトル・ジバゴ】の中ににも【ダビンチ・コード】のような側面があるということなのです。そしてそれは絵画によるものではなく、言語的なシンボルを通して表現されていると言うことなのです。下記はその抜粋となりますが、主人公の人名以外にも様々なシンボル的名称が含まれているようなのです。


■ ドクトル・ジバゴ の人名のシンボリカについて ■
Doktor Zhivago
(上記書籍・江川卓訳注釈㌻411より)


【 ドクトル・ジバゴの名前 】

ジバゴ(姓) ・ユーリ(洗礼名) ・アンドレヴィチ(父称)


① ジバゴ(Zhivago)

ジバゴとは、生命あるもの、生きている、という意味で、本来は【ジヴァヴォ】と発音すると言う。そして【ドクトル・ジバゴ】とは、【生あるものの医師】と言う意味を秘めていると言う。

② アンドレヴィチ

アンドレッチとは、父称のアンドレヴィチは、ジバゴの父親がアンドレイと言う名前であったことを示している。このアンドレイと言う名前は、ギリシャ語起源で、『勇気あるもの』を意味すると同時に、十二使徒の一人であるアンデレの名前にあやかっている。使徒アンデレは、ネストルの『ロシア年代記』によると、黒海沿岸各地で伝道を行う途次、ドニエプル河を遡って現在のキエフの地まで至り、そこの山上に十字架を立てた。下記は参考資料

ロシア正教会の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 つまり、ロシアの最初の『発見者』であり、その折、『この地に神の恵みは輝き、キリストの教会は建てられ、ここよりして真の光明は全土に注がん。』 と予言したと伝えられている。古来ロシアでは『始祖のアンデレ』として特別の崇拝を受けており革命前の高級勲章には、『始祖アンドレイ勲章』と言うものがあった。パステルナークが主人公の父称にこの名を選んだことは、ロシアにおけるキリスト教の運命がこの作品の中心的なテーマであることを暗示している。

③ ユーリイ 


 ユーリイと言う言語は、 ギリシャ語の人名「ゲオルギオス」に起源を持ち、キリスト教の聖人ゲオルギオス(ゲオルギイ)を通して使われるようになった。ロシア語でよく用いられる「ユーリイ」はこちらである。(ウィキペディアより)

 ユーリイと言う洗礼名の起源は、初期キリスト教の聖者ゲオルギイである。この聖者は3~4世紀にローマのキリスト教迫害に抗して戦い、殉教の死を遂げた武将として知られ、キリスト教国ではどこでも高い尊敬を受けている。特にこの聖者を有名にしたのは、後年広められた大蛇退治の伝説だろう。

 聖者の遺体が葬られたベイルートの地に、毎夜湖から巨大な大蛇があらわれて住民に危害を加えていたが、あるとき白鳥にまたがった若者(ゲオルギイ)が矛を持ってこの大蛇を退治し住民を難から救った。 同時にこの若者は、熱烈なキリスト教の擁護者であり、その武勇によって多くの異教徒をキリスト教に改宗させたと言う。

 そして時代が下るにつれて、聖ゲオルギイが退治した大蛇はいつかヨハネ黙示録に登場する【巨大な赤い蛇】と同一視されるようにもなった。黙示録の蛇は、天使ミカエルの率いる軍によって地上に落とされた後、【悪魔サタン】と呼ばれるようになる。( ヨハネ黙示録12章) この二つの伝説が混同されて、やがて聖ゲオルギイは、キリスト教徒を悪魔から守ってくれるもっとも頼もしい聖者とみなされるようになった。

 特にロシアでは、聖ゲオルギイ信仰はきわめて盛んで、聖者の蛇退治を描いた聖像画は民間でも広く普及し、【勇者エゴーリイ】と言った物語詩も古くから歌い継がれてきた。革命前のロシアには、戦功のあった将兵に対して、この聖者にあやかった【聖ギオルギイ勲章】が授与されたほとである。

 パステルナークが主人公の名に聖ゲオルギイと同じユーリイを選んだことは、極めて象徴的な意味を持っている。この命名が極めて意識的なものであったことは、第14編でジバゴ自身に【勇者エゴーリイ】の伝説に基ずく詩を書かせ、それがジバゴ詩編にも【おとぎばなし】と題して収められているこで裏付けられている。とすればこの作品で随所に出てくる【蛇】のイメージは、当然この伝説を踏まえて象徴的に理解しなければならないものであろうし、また作品の冒頭から顕われる汽車のイメージも口から火を吐いて走る長い胴体を持ったものとして龍を連想させ、作品のシンボリカの一環を構成しているとみられる。


十二使徒の一人 聖アンデレのイコン画

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(上記は、ナザレのイエスの十二使徒の一人であるアンデレ。アンデレは、ロシアではアンドレイと呼ばれて、この聖アンデレがロシアに一番始めにキリスト教を伝えた人とされ、ロシア正教の始祖とされている。ドクトル・ジバゴでのジバゴの名前は、ジバゴ・ユーリ・アンドレーヴィチで、ロシア正教の始祖アンデレの名前が刻みこまれている。)



大蛇退治伝説の聖ゲオルギイのイコン画

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上記は、モスクワ市のロゴマークで聖ゲオルギイが描かれている。槍の先には、
黙示録の赤い龍が描かれている。

 聖ゲオルギイは、まるでプーチン大統領

(上記は、ユーリイである聖ゲオルギイのイコン画です。ユーリイとは、ゲオルギイの民間で伝えられた名称で、本来正しくははゲオルギイと言う名称で、この聖ゲオルギイには、大蛇退治の伝説があって、その大蛇が黙示録の中で説かれている巨大な赤い龍・蛇に退治する大天使ミカエル譬えられて、ロシアでは聖ゲオルギイが悪魔・悪霊からキリスト教徒を守ってくれる守護聖人となったそうです。パステルナークが主人公の名前にこの洗礼名を使ったことは、黙示録で予言されていた赤い巨大な龍に譬えられる共産主義の社会体制に対して抵抗する意味で名付けられたと思われてなりません。)

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 ■ ロシアは、詩人を愛する黙示録の国 ■
       ( ソビエトは、人間の内面の自由を拘束する形を変えたユダヤ教の国)


◆ 一番上の雪の山脈の映像は、ウラル山脈。実際にはソビエトでは、ドクトル・ジバゴの撮影はできないので、ロシア的な広大な自然の情景を求めて、カナダや北欧、スペインなどでロケを行っている。左側の小さな人の行列は、映画の冒頭で出てくるジバゴの母親の葬儀のために教会に向かう人々の行列の姿。

◆ 二番目の雪に埋もれた館は、ジバコの本妻トウニャーの父、ジバゴの義理の父で大学教授のグロメコ氏が所有しているベリキノ村の別荘。三番目の平屋の小屋は、その別荘の管理人が住んでいた小屋。ロシア革命後にこれまでの貴族階級の私有財産が廃止されて、資産は赤軍の管理下に置かれることになり、モスクワから逃げてきたグロメコ氏やジバゴ夫妻は、ウラル山脈近郊にあった小さなベリキノ村の別荘で過ごそうとしたが、館は赤軍に没収されて住むことがではなかった。そこで管理人の小屋に家族で住むことになった。

◆ しかし、共産主義社会にロシアが変貌してゆく中で、もともと貴族階級でもあったジバコの義理の家族も、自分達のこれまでの全ての私有財産が廃止され、新しい共産主義社会に適応できず次第に追い詰められてゆき、ジバゴが赤軍に拉致されて行方不明の後に、家族は、モスクワへ戻り、ジバゴが赤軍から逃れて村に戻った時には、義理の父や妻・トウニャーや子供は村にはいなかった。

◆ その後、ジバゴは、この雪の館でラーラと過ごすことになり、それが雪の館をジバゴとラーラが訪れるシーンが動画の始めに描かれています。しかし、ラーラのもともとの夫であるパーシャは、ロシア革命を通して、赤軍の反体制派粛清のための軍事部隊のリーダー・ストレーニコフとして恐れられていたが、粛清が終わり役目が終わると組織によって知りすぎた人物として中央から抹殺命令が出される。
 
◆ そして そのストレーニコフの妻ラーラにも、逮捕命令が出されて暗殺部隊がすでに派遣されたということを、ラーラの憎むべき相手・コマロフスキーからジバゴはラーラが危険な状態にあることを伝えられて、ラーラと子供の身の安全のために、ラーラコマロフスキーと極東まで逃げるしか方法がないとジバゴは悟り、突然にラーラとの別離が訪れる。それが動画の最後の場面となります。

◆ 次に黄色い水仙や白樺のある小屋は、ジバゴ家族がモスクワから逃れてきた時の村の義理の父・グロメコ氏の館の管理人の小屋ですが、ドクトル・ジバゴの中では、都市部であるモスクワの生活とウラル山脈近郊の村での生活と言う都市部と自然と言う地域性があって、この村での生活の中で、ロシア的な自然の風景が描写されているのです。

◆ また四番五番目の黄色い水仙や白樺の樹木の小さな小屋の風景を見ると、何故か白樺湖の世界がシンクロしてしまったので、この動画を載せることにしました。ここでは、ロシアの自然の象徴である雪と白樺の世界が表現されています。またこの黄色い水仙にも何か比喩的な意味が込められていると思います。そして最後の机の上の向日葵は、ジバゴがドイツとの戦争の中で医師として勤務していた時に看護師として働いていたラーラと出会い、ともに働いていた病院(修道院)の中が向日葵なの映像です。

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◆ 『ドクトル・ジバコ』の映画については、一般的に知られているデビットリーン監督のオマー・シャリフとジュリー・クリスティー配役の1965年製作のものが、詩情溢れる豊かな映像美の作品とラーラの音楽のテーマで一番有名な作品ですが、その後に2003年にイギリスでも製作され、2005年には本家のロシアでもドクトル・ジバコの作品が製作されています。



( 上記は、2002年度版のドクトル・ジバゴ。こちらの動画は、最期の場面で、ラーラが赤軍に逮捕されて強制収容所に連行されるところ、子供にジバゴの詩のノートを託して逃がしている場面です。こちらはキーラ・ナイトレーがラーラ役ですが、彼女のイメージは、ロシア人と言うよりもフランス人のようなイメージ。)

◆ それぞれの作品は、ジバコの小説にどれだけ忠実に映像化されているのかというと、やはりロシア版のものが一番詳しいと思われますが、やはりその中で一番強烈に印象に刻まれるのは、始めのデビットリーン監督の作品であると思います。しかし、そのような作品を通して見えてくるものは、ロシアと言う国は詩人を愛する国であり、詩と言われるものが尊重されている国であるということなのです。主人公のジバコ自身も詩人で医師であり、作者のパステルナークも詩人でした。



( 上記は、ロシア版ドクトル・ジバゴです。ドイツとの戦争で戦地で医療活動をするジバゴ医師と看護師として働くラーラがいます。でも何故か、ラーラの姿は、菅野美穂に似ています。すみません。日本語の翻訳がありません。
  
 戦場での病院で看護師達が手術を終えて『タマネギ・ジャガイモ』を剥いています。その時に詩の話をして、作者がだれかを聞いていますが、ラーラがユーリ・ジバゴと答えています。
  
 この№5では、前線のジバゴの部隊に、党の幹部のような、政治局員のような中央委員会から偉い若造が、独立国を作ろうとする反乱軍を鎮圧するために派遣されてきます。彼は鎮圧ではなく説得するために、嫌がるジバゴ達を率いて、独立国の党首の処に話合いに訪れますが、なんとその党首は、寝たきり老人のシャーマンで、時たま神がかると起きて、終末の黙示録の預言のようなことを託宣しますが、政治局員は呆れてしまいます。また、場面には、ロシア正教の教会で神に祈るジバゴやラーラが描かれています。)

◆ それは映画の随所で、ジバコの詩に対する共産主義イデオローギからの批判が場面に表現されています。またジバコの死に際しても、共産主義社会下であっても、多くの人々がジバコの詩を愛読しており、詩人の死を悼んで葬儀に訪れる場面も描かれています。また詩を朗読したり、詩を書いたりする場面も描かれています。

◆ また父親であるジバコの詩の手帳を息子に託すラーラの場面もイギリス版では描かれています。何故か詩と言われるものが、生活の中の一部となっていて、詩がロシアでは社会的に尊重される風土があるような気がします。でもどうしてそうなのかと考えてみるとなかなか見えないものがあるのです。

◆ ロシア文学は、19世紀の農奴社会の変革を求めて立ち上がり、そして挫折してシベリアの流刑となった、貴族階級が貴族階級の在り方を否定するデカブリスト達の生き方から始まり、ロシアでは反体制的な作家や詩人は、全て流刑となり死罪となって、それ故にロシアの詩には、悲しみの心であふれていると言われています。

◆ 貴族階級で地主階級でもあったトルストイが『戦争と平和』を描いたのも、もとをたどれば、この若き貴族階級の将校達であったデガブリスト達の生き方に影響を受けたからと言われています。何故なら、デカブリスト達は、その行為によって、貴族としての地位や名誉や富を失っても、ロシアの農奴解放のために戦った先駆者であり、その犠牲的精神がその後のロシア社会に生まれてくるロシア雑階級知識人達にその犠牲的精神が詩や文学を通して語り継がれてゆくからです。

◆ 下記は、『デカブリストの妻』と言う本で、ネクラーソフによって書かれたシベリア流刑となったデカブリストの妻たちを歌った本です。彼らデカブリスト達は、貴族階級の持つ地位や名誉や資産や特権を失いシベリアに向かった。その妻達は、デカブリストである夫との離婚によって、その地位が保全される皇帝からの恩赦のような話もあったが、正しいことを実行した夫と運命を共にするためにシベリアに向かったデカブリストの妻達の心情を詩人のネクラーソフが描いたものです。

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(ニコライ・ネクラーソフ【デカプリストの妻】)

◆ そして有名なあのドストエフスキーも社会主義思想のサークルに加わり、そのことでシベリア流刑となっているけれども、ドストエフスキーは、このデカブリストの妻たちから新約聖書を送られたという逸話が残されているようです。19世紀初頭のロシアの農奴社会の中で、その解放のために貴族階級が貴族階級の在り方を否定したデカブリスト達の行ったことは、まるで十字架を背負ったナザレのイエスのように見られて、それ以降のロシアの貴族階級のみならず、ロシア雑階級知識人達に大きな影響を与えて、ロシアの社会を動かしてゆく・・・・ロシアにおける詩人や作家が描く文学の本質とは、ロシア農奴社会の変革と深く連動しており、その文学を通して多くの人々に心情が伝えられ、その精神の法灯を受け継ぐ若きインテリゲンチャ達が顕われてくる。そしてそのデカブリストから始まるその良心がロシア文学の精神と呼ばれているのかもしれない・・・・

◆ そして、そんな農奴社会の解放のために闘って流刑や死罪となった多くの作家や詩人達の姿を、ロシアの人々は体感して刻んでいるが故に、ロシアでは、詩人や作家が尊重されるという悲しみ歴史が隠されているのだと改めて思うのです。そしてこの戦いの歴史は、農奴社会から共産主義社会となり、ロシア正教の国の中から反キリストの国が生まれて出て、その中で戦い続けてきた人々が、ロシアにおける詩人や作家そして芸術家の姿でなのであり、パステルナークは、その中の一人なのです。

◆ そしてこのパステルナークのドクドル・ジバゴの中から見えてくるものとは、第三ローマとしてキリスト教の正当な流れを受け継ぐものとして自負してきたロシア正教の世界から、反キリストの共産主義社会が生まれてきてしまったということであり、それは私達日本人にとっては、黙示録の世界とは、架空の世界であったとしても、ロシアという国においては黙示録は、現実にロシアで起きた現実であり事実であるということなのかもしれません。


◆ そしてその上でさらに重大な出来事は、そのような19世紀ロシアのインテリゲンチャの精神を受け継いでいるロシアの人々にとっては、現在の日本国内で起きている重大な出来事(創価学会の問題)も、けして架空のおとぎ話の出来事ではなく、それは同時に黙示録に預言されているの現実の出来事として捉えられているということなのです。ロシア人は、私達日本人よりも宗教的な民族なのかもしれません。


『光は東方より』に敵対する日本の反キリストである富と権力を追求する反社会的宗教団体

 
追記・ロシア正教『光は東方より』と日本
 
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( 上記は、タルコフスキー日記です。上下二巻ありますが、この日記の中で七か所ほど、タルコフスキーがバステルナークについて語っている処があるのですが、それが驚いたことにタルコフスキーが交霊会でパステルナークの霊を呼び出して、バステルナークに質問して、答えてもらった内容に対して、あれこれと書いているのです。)


■ 詩人パステルナークとアンドレイ・タルコフスキー ■


◆ アンドレイ・タルコフスキーの『タルコフスキー日記』によりますと、タルコフスキーの父親で詩人のアルセーニ・タルコフスキーは、パステルナークと面識があったしく、その関係かどうかはわかりませんが、タルコフスキーは、まだ映画を数本撮り始めた時に、降霊会でパステルナークの霊を呼び出して、自分の芸術家としての未来について託宣を求めたらしいのです。その時パステルナークの霊は、タルコフスキーに『生涯で七本の映画を撮るけれども、優れた作品を撮る』と伝えたと日記の中で書いています。でもタルコフスキーは、このパステルナークの予言について不満だったらしく、自分は生涯でたった七本の映画しか撮れないのか日記に書いているのです。でもこのパステルナークの予言はその後適中して、タルコフスキーは、七本の優れた映画を残したと伝えられています。

◆ パステルナークは、ドクトルジバゴの件で、ソビエト政府から、もしノーベル賞授与のためにソビエトを出国してスェーデンに行くのであれば、二度と帰国は許されないと警告されて、ノーベル賞の受賞を諦めてソビエトに留まったと動画の中で述べられていますが、それはパステルナークがソビエトを愛していたからではなく、ロシアの自然や風土に対して深いノスタルジアを感じていたからであり、彼はロシアの自然と深い繋がりを持っていたからこそ、ロシアに留まったのだと思われるのです。そしてそのようなソビエト政府から弾圧を受けていた詩人パステルナークの姿に、タルコフスキーは何か深く感じるものがあったのだと思われてなりません。

◆ またこれも偶然かもしれませんが、そんなタルコフスキーのは奥さんの名前は『ラリーナ』という名前で、日記の中ではいつも奥さんのことを『ラーラ』と呼んでいたことがわかります。恐らくパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』と呼ぶ作品は、ソビエト共産主義社会の中でキリスト教がどのような運命にあるのかということを深く暗示させたものであり、タルコフスキーは、同じソビエト社会に生きる反体制的な芸術家として、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』から多くの影響を受けてきたと思われてならないのです。仮にそして偶然に、奥さんの名前が、ラリーサ通称ラーラであったとしても、タルコフスキーは、或る意味ドクトル・ジバコの運命の中に自分自身の運命を重ね合わせていた処があったのではないでしょうか・・・・偶然かもしれませんが、パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』の中でジバゴが最期に心臓の発作で急死するのと同じように、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』の主人公のロシアの詩人ゴルチャコフも最期に温泉地の場面で心臓の発作で急死するのです。


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■ チェルノブイリ原発事故とヨハネ黙示録『にがよもぎ』 ■


NHK特集・1987年放送チェルノブイリ特集スウェーデン編

  新約聖書・ヨハネ黙示録は、この世の終末を示唆したものといわれている。ヨハネ黙示録の第八章に『にがよもぎ』と言う言葉が出てくる。

  ヨハネ黙示録第八章

10.第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。

11.この星★の名は「にがよもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。


 チェルノブイリこの言葉は本来ロシア語で『にがよもぎ』を意味する。聖書に書かれている不吉な預言が西暦1986年、ソビエト・ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故と偶然にも符合した。この番組は、現代の『にがよもぎ』についての調査報告である。 

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イメージフォーラム・1987年3月号【タルコフスキー好き】より抜粋

■ あなたは黙示録に熱中しているようですが、その到来が早まることを望んでいるからですか。

タルコフスキー  黙示録というのは、やがて起こるであろうことではありません。それはとうの昔に始まったことなのです。問題にできるのは、その終わりだけなのです。私はただわれわれがどこまで来たのかを見ているだけです。・・・・黙示録と言うのは、『終わりの書物』ですから、悲しみにみちた思想はそこからおのずとやってくるのです。チェルノブイリ( これはウクライナ語でにがよもぎのことです。)のタイプは、『にがよもぎの星』と関係があるのです。

 概して、進歩の問題も馬鹿げています。文明は今日のようなカタストロフィツクな結末にわれわれを連れてきましたが、四千年以上にわたって、なんの役に立ったというのでしょう。人間を正しい道に向けるために、二千年前にゴルゴダが必要とされました。しかし、人々はその責任を自分で背負おうとはしなかったのです。これがなにも持たらさなかったと考えることは幸いことだと、私は理解しています。けれども希望は持てるようになったのです。ただ間に合うかどうかです。

(イメージフォーラム・1987年3月号より抜粋タルコフスキーインタビュー記事1986年8月号ロシア語版ロシア思想よりの翻訳 )


■  でもどうしてタルコフスキーは、チェルノブイリ原発事故後に『 けれども希望が持てるようになったのです。 』とインタビューに答えたのだろうか。この言葉の裏側には、とてつもないほどの信じられないほどの彼の信仰と確信があったと思わざるを得ないのです。そしてその謎を解く鍵が、このサクリファイスと言う映画の中に隠されているのです。

追記
( ロシア正教会の神髄枯れてしまった日本の木を再生する人の到来 )


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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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