五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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五井野正博士『ジャポニスムとは、日本主義である。』                                          古今名婦傳・呉織(くれはとり)

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(  三代歌川豊国画 1864年元治元年 )

  漢織(あやはとり)と呉織(くれはとり)の伝説 ■

 応神天皇37年(306年)2月。天皇は阿知使主(あちのおみ)を中国に遣わしました。阿知使主という人は誰かと言いますとおそらく渡来人、百済系あるいは加羅系渡来人で、東漢氏の祖とされます。東漢(やまとのあや)氏と言えば渡来人集団を形成し日本のテクノクラートとして、また軍事集団として活躍する氏族です。蘇我氏の台頭そして乙巳の変、壬申の乱とあらゆる場面で暗躍する氏族ですが、その最初が阿知使主です。 目的は「令求縫工女」つまり機織の技術者を求めてのことです。
 
  さて、阿知使主とその子であるとされる都加使主(つかのおみ)は、呉に行ったことになっています("都加使主於呉"や"渡高麗國欲逹于呉"と書かれる)。三国志の孫権でおなじみの呉は、このときはもう晋に滅ぼされたあとです(280年滅亡)。これは歴史が錯綜してしまっているのか、それとも呉方面(江南地方)へ行ったということなのか。どっちかわかりませんが、阿知使主は高麗経由で呉に行き、呉王から4人の婦女を賜ります。兄媛、弟媛、呉織、穴織。えひめ、おとひめ、くれはとり、あなはとりと通常は訓します。

 応神天皇41年(310年)。阿知使主らは帰ってきます。筑紫(今の北九州)に到着しますと、胸形(宗像)の神様が「工女を欲しい」とおっしゃるので兄媛を胸形大神に奉じ、あとの3人と都へ帰ります。「既而率其三婦女以至津國 及于武庫」と日本書紀は記していますので、西宮に着いたということです。  ところが、応神天皇は既に亡くなっていました。残念。なのでこの紡績技術職の女性3人を次の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に奉じます。


( 上記は、【ちょっと歴史っぽい西宮】さんのブログより抜粋させていただきました。)


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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

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 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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