五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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浮世絵の民俗学                               江戸・吉原遊郭・三浦屋の花魁(日光江戸村より)

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◆ 上記は、実は東日本大震災、福島原発事故以前に、かなり以前になりますが、栃木県にある日光江戸村に訪れた時に撮影したものです。吉原の花魁ショーということで、相当昔に一度訪れた時にも、このようなショーがありましたから、この日光江戸村の歴史の中では古くからあるものと思われます。

◆ 以前は、東京都台東区の吉原にも松葉屋さんという料亭があって、そこでもよく外国人の観光客相手に花魁ショーを興業していたと思います。松葉屋さんのほうは、相当昔に訪れたことがありますが、こちらは吉原大門を入ってすぐ近くの処にありましたが、現在はもうなくなってしまいました。

◆ しかし、こちらの松葉屋さんの花魁は、江戸村のような華やかさはありませんでしたが、目使いなどがかなり訓練されているようで、眼によって相手の心を射るようなしぐさがあったことを憶えています。やはり現地の業者さんは違うのだとその時に肌で感じました。

◆ そしてその上で、これが時代を遡って本当の江戸時代に吉原遊郭の中に居た花魁のしぐさや手練手管がどのようなものであったのかということを推測すると、まだ小さなかむろの時代より、花魁に個別指導教育を受けて育つ玄人の人間となるわですから、想像を絶するものがあると思われたのです。


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◆ そのようなことで、墨田区にある東京江戸博物館に足を運んだ時期もありましたが、残念ながら江戸博には、花魁ショーはありませんでした。そのようなことで、後は歌舞伎の世界の中に、花魁の面影を追うということになってしまうと思うのですが、なかなかこのようなものは、伝統文化ということで保存されることもないように思われてきます。

◆ 数年前に台東区浅草で、浅草の観光協会や地元の人々の協力で、浅草吉原の近郊で花魁道中の催しが毎年開催されているようですが、こちらも相当以前に一度見に行ったことがあります。こちらは、観光地浅草ということで大勢の人々で道路を塞いで大変なごった返しでした。やはり吉原のある地元ということで、本当にお祭りのようでした。こちらの花魁道中の記録を残しておいたのですが消えてしまいました。

◆ しかし、このような伝統的な文化や行事は、時間ともにどんどん薄れて、古い日本の姿が断片的になって、その仕草や技の伝承もなくなって、一部の役者さんが、それを受け継いでいるように思えてきます。たとえば、江戸村の花魁ショーを受け持つ役者さんも、これまでに何代も受け継がれていて、新たに花魁の役を引き継ぐ役者さんは、いろいろと勉強をするようです。現在では、時代劇の劇団の役者さんが、花魁の技と仕草、手練手管を受け継いでいるようです。江戸村の花魁を引き継いでいる人々も、本当に詳しく専門的に勉強をされていて、それと現実の興業との間で努力をされていることが垣間見え見えてきます。

◆ それから、二年前に今度は、島原遊廓の夕霧太夫を調べるために、京都の嵐山嵯峨野にある清涼寺を訪れた時に、地元では、島原遊廓の『夕霧供養』の行事があり、ネット検索してみると吉原遊郭とはまた違った島原遊廓の太夫の伝統行事があり、こちらのほうでもが京都という場所がらもあり、伝統的な行事として残されてきているようです。また夕霧の菩提寺の方の話では、現在も夕霧は、霊力を持って生きてるとか・・・いろいろと夕霧の伝説・伝承が巷にあるようで、大変驚きました。こうような都市伝説に近いアングラ情報は、考証的な文献には書かれていないのですから。

◆ とくに戦災がなかったことで、島原遊廓に昔からあった揚屋(今日の料亭のようなもの)が現在までも保存されており、当時の島原の世界が具体的にどのようなものであったのか、その揚屋を見学することによって垣間見ることができるようです。もともと吉原遊郭は、京都の島原遊廓に吉原の業者が行き学んで作り上げたもののようです。しかし島原遊廓は、吉原遊廓と違って、廓ではなく、自由に出入りができた形となっているようです。

◆ 現在残されている揚屋を見るとそこには、山水の庭園があり、茶室もあって、揚屋には最低、三つの庭園と茶室がないといけないことにされていたようです。京都の島原と江戸の吉原では、やはり雰囲気や仕来たり、慣習や信仰が異なると思いますが、夕霧を調べてゆくうちに、四方を堀で囲まれた吉原と自由に出入りができた島原では中に生きる太夫や花魁の意識は、全然違うのではないかと思えてきました。島原遊廓の揚屋は、現在、角屋保存会・おもてなし文化美術館となり、こちらの美術館には、島原遊廓がどのようなものであったのかを知る現実的な手掛かりが残されています。

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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

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 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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