五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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ロシア正教会の神髄                            枯れてしまった日本の木を再生する人の到来


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( 上記、日本語訳のサクリファイスの最後の重要な場面は、残念ながら映像が見られなくなっているようでが、再開されたようてす。また、上段の全編が収められている外国版のサクリファイスも、閲覧できますので、もし関心ある人がいましたら、最初と最後の場面を閲覧してみてください。曲は、マタイ受難曲の【わが神よ、憐れみたまえ】が象徴的に使われています。ペテロがイエスを三否認する場面です。

  何故、このマタイ受難曲が【核の時代の黙示録】の世界を表現するために使われたのか、広島・長崎・チェルノブイリ・福島そして・・・この地球上の核の問題を思う時に、このペテロの三否認の内面の葛藤の感情を顕わす曲が、どうしてこの核の問題に適用されるのか、タルコフスキーの奥深い適用の意図を推し量ることは甚だ困難のように思えてきます。そしてそこには【東方到来神】に対する深い思いが表現されているのではないでしょうか・・・・

 また、この映画サクリァイスは、スェーデンのバルト海に浮かぶゴットランド島で撮影されたものであり、そのバルト海には、同時にナチスドイツの負の遺産である三十万トンの毒ガスが廃棄された海でもあり、そのバルト海に浮かぶ島に、枯れてしまった日本の木を植えていると言う寓話がなさているということなのです。

そしてこの映像の背景にある海は、実はバルト海であるということです。もし、この遺棄された毒ガスの缶が海中で破損していたら、バルト海沿岸の北欧諸国は破滅していたのあり、黙示録で述べるような地球の海洋汚染がバルト海から始まり、地球の海洋が死滅していたのです。それ故に、北欧諸国は、サクリファイスの映画の物語のように、日本の神・ロシアの神の恩恵を深く受けています。)

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(River Of No Return様ブログ・スェーデン・ゴット
ランド島掲載地図より転写

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(上記記事は、平成22年5月25日の産経新聞の記事より、ナチスドイツ製造の毒ガス、バルト海三十万トン遺棄の問題。)

◆ 上段は、ロシアを代表するもっとも有名15世紀のイコン画家アンドレイ・ルブリョフの作品『三位一体』で、三人の天使の姿を以て『神』を顕すイコンとされています。タルコフスキーの映画には、このルブリョフのイコンが出てきますが、このイコンは、ロシアのトレチャコフ美術館に安置されているようです。下段は、ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの映画作品『サクリファイス』です。このロシアの映画については、昨年一度ブログで書きましたが、実は、この映画の世界には、寓話として東方の日の出る処から起きる日の本の国・日本に到来する神のことが顕されている映画であるからです。

◆ また、この映画には、映画の世界と絵画の世界が深く密接した関係にあるということが理解できないと、この映画の持つ奥深さをまったく理解できなくなるのです。恐らく、現在の日本人の感覚では何が描かれているのかわからないとなるのかもしれません。映画の物語を解く鍵が、ダビンチの一枚の絵( 東方の三博士の来訪の物語 )に顕されているのであって、ダビンチの絵画を知らなければ、一歩奥深い処の扉が開かれないようになっているのです。日本の映画には、このような手法はありませんが、江戸時代の浮世絵の世界にはあったのです。そして東方の三博士は、貢ぎ物(サクリファイス・犠牲の贈り物)を持って、枯れてしまった日本の木を再生させる人を礼拝しているのです。その場面の姿は、タルコフスキー自身の姿かもしれません。これまでこんなにも奥深い宗教な的映画があったことでしょうか。そしてそこにジャポニスムが深く関係しているのです。

◆ 次に、このポスターは、スェーデン版のものですが、この映画はソ連邦から亡命をしたタルコフスキーが最後にスェーデンで撮影された映画なのです。それは、核戦争が起きてしまった日に、美しいスェーデンの高砂の美保の松原のような浜辺で枯れてしまった生命の木である日本の木を植える寓話の物語なのです。以前に一度同じ趣旨で書いていますが・・・以下の文章は、サクリファイスについての考察の文章となります。少し短刀直入のような書き方となりますが、私達日本人に深く関係している映画なのです。(映画の映像は、サクリファイスの始めと終わりの重要な部分です。)
 
◆  ポスター中央の枯れてしまった木は、実は『日本の木』を顕しており、その枯れ木に子供である童子がバケツに水を汲んで、これから長い時間の日々をかけて、枯れてしまった日本の木を再生させようとするのです。そして核の時代の黙示録の世界にあっては、このもともとの生命の木であった『日本の木』を再生させる人こそ、救世主の具体的なわざとして、そのあり方を寓話として映画芸術の形を取って預言しているのです。

◆ どうして枯れてしまった日本の木を再生しょうとするのか・・・ほとんどの人々は、その意味を深く問おうとしません。またこの映画を見る私達日本人も、どうして日本の木が出てくるのか、その意味についてまったく理解することができないのです。何故なら、それはそこにジャポニスムの意味が隠されているからであり、ジャポニスムを理解できないで人にとっては、この映画の意味が見えてこないのです。

◆ ほとんどの日本人は、自分の国の江戸時代の文化が、ジャポニスムとして海外では評価されていることを知らないから、生命の木がどうして日本の木となって表現されているのか、日本のクリスチャンでも、肝心な処が理解できないのです。でも、ロシアの芸術家は、始めから日本のジャポニスムの思想を深く理解した上で、この映画を作っているのです。ですから、一般の学校教育の世界に洗脳されている江戸文化を野蛮人の文化として否定した慶応大学の創始者である福沢諭吉の脱亜論の世界に落ちている私達日本人とロシアの芸術家の間には、認識のレベルで格段の開きがあって、ほんどの人は、始めの日本の木の意味がわからないのです。

◆ でも私達日本人も福島で原発事故があってから変化したのです。私達日本人でも東日本大震災・福島原発事故を通して、このサクリファイスの映画の意味が始めて理解できるスタート位置に入って、枯れてしまった日本の木の意味を本当に肌身を持って多くの日本人が気付いてきたのです。福島で被災後に残された一本の松の姿が話題となり、その松の姿を見て、昔見たサクリファイスのこの映画のシーンを理解した人々が数多くいるのです。ですから、この映画がどれだけ深い内容をメッセージとして、1986年の時に、世界に向けて発信していたのか、私達は今になって始めて理解できるようになったのです。

◆ 映画の世界では、レオナルド・ダビンチの東方の三博士の絵の中の子供(ナザレのイエス)を用いて、救世主の姿を子供・童子の姿で表現しているのです。このサクリファイスの映画の世界とは、このダビンチの東方の三博士の絵の世界を、映画の現代の寓話の世界に置き換えたものであり、この一枚のダンビチの絵こそ、この映画の世界の秘密を解く鍵となっているのです。ダビンチの絵の世界では、その背後に、生命の木が描かれているのですが、映画の始まりは、その木が枯れてしまった日本の木の再生のために、子供がバケツに水を汲んで、水を枯れ木に注ぐシーンから始まっているのです。そしてこのシーンは、同時に終わりのシーンにも顕されてくるのです。

 ( 西洋のキリスト教文化圏の中で、天才という概念は、この東方の三博士の来訪から来ている。何故なら、東方の三博士は、高齢者であり老人であるが、その経験を積んだ老人の博士が、赤子であるキリストを崇拝しているからである。赤子であり、童子であり、子供を崇拝するという思想は、日本の老人が支配する社会体制の感覚では理解できない世界となる。つまり、日本人的な高齢者の世界では、東方の三博士の来訪の意味が理解できない。それは、子供の中に特別な世界から来た者・救世主の到来という思想がないからである。だから、老人が子供を崇拝している東方の三博士の意味が感覚的にわからない。

 しかし、反対にキリスト教文化圏では、このナザレのイエスである知恵者の姿によって、天の才能を持つ救世主を子供の中に探そうとする救世主信仰があり、このような文化的社会的背景があって、欧米では『知能検査』が為されているという。知能検査とは、子供の世界の中で、特別な世界から来た特別な才能を持つ人を見つけるためのものであって、その背景には、ユダヤ・キリスト教文化圏の救世主信仰が社会的背景にあるとされている。つまり天才という概念は、ユダヤ・キリスト教文化圏の中にある救世主信仰が土台となって生まれてきているものなのである。)

◆ この映画は、チエルノブイリ原発事故が起きた1986年に製作されています。そして枯れてしまった日本の木の再生の意味とは、『浮世絵の世界』の再生でもあり、それは同時に、人間と自然が調和をして共生して生きていた日本の『江戸時代の世界』の再生をも意味しているのです。人間と自然の共生している文化、それは、人間のために自然を利用して破壊したりする西洋の物質文明の流れの中にはないのですから・・・その結論が日本では福島原発事故として、これからその恐ろしさが顕れ始めてきました。

◆ 私達現代の日本人は、現在のロシアにおけるジャポニスムを感得しなければならないのではないでしょうか。何故なら、その映像表現の中に、昔から現代まで言い伝えられてきている太陽の昇る日の出る処である日の本の国・日本から到来する『日本の神』のことが述べられているからです。そしてそれがロシア正教と福島原発事故によって、本当にその国土が枯れてしまった日本の木になろうとしてしまっている現在の日本人を深く結びつける鍵となると思えてくるからです。

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◆ 上記図録は、国内・海外での五井野正博士の浮世絵の展示会等の図録で、信州の博士の美術館で購入できるものですが、下から二番目の図録が、ロシアのプーキシン美術館で開催された図録で、一番下の図録が、エルミタージュ美術館で開催された図録のようです。その中で、歌川派浮世絵展の図録の巻頭に五井野正博士の『ゴッホとジャポニスム(日本主義)』の文章が掲載され、その中にゴッホが弟のテオ宛に出した書簡の抜粋が掲載されていますので、下記に掲載したいと思います。何故ならこのゴッホの書簡の中に、ジャポニスム・日本主義について簡単に述べられているからです。また一番上の画像は、ヴァン・ゴッホの描いたジャポニスムの絵画である『タンギー爺さんの肖像画』で富士・桜・芸者・日本・四季のシンボルを顕しているそうです。この絵についても図録の中で詳しく説明されていました。

◆ 枯れてしまった日本の木(生命の木)を再生させるということが、どのような意味であるのか、この書簡の中に簡素に述べられているのです。そしてゴッホのような印象派の画家達が感じたこと。そしてタルコフスキーのようなロシアの芸術家が江戸時代の文化について感じたことを、明治の福沢諭吉から始まる文明論に洗脳されている現在の学校教育を受けた全ての私達日本人は、反対に彼らが感じたことが、もうわからなくなっているのです。

◆ だからどうして生命の木が日本の木であり、枯れてしまった日本の木を再生しなければならないのか、その意味がわからなくなっているのです。でも福島原発事故を通して、今、私達はこの日本という国が、これから本当に『枯れてしまった日本の木』の姿を顕し始めてしまうことを実感しています。ですから、この映像の意味を深く感じることができると思われます。

ゴッホがテオに宛てた書簡より

『 日本芸術を研究すると明らかに賢者であり、哲学者であり智者である人物に出会う。その人は何をして時を過ごしているのだろうか。地球と月との距離でも研究しているのだろうか。否である。ではビスマルクの政策を研究しているのか。そうでもない。彼はただ一枝の草の葉を研究しているのだ。ところがこの草の葉が彼にあらゆる植物を次には季節を、田園の広々とした風景を、させには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。こうして彼は生涯を送る。いいかね。彼等、自らがまるで花のように自然の中に生きてゆく。こんな素朴な日本人達が我々に教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか。』

◆ 今回の9月23日に信州で行われた博士の講演会の中で、 有名なロシアの新聞が、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士を『日本の神』と掲載表現されロシア国民に流されたと話があった。私は、このお話を聞いて、本当にロシアの知識人・インテリゲンチャーと呼ばれる19世紀からのロシア文学の伝統的精神の流れを汲む良心ある人々は、日本のマスメディアの人間達とは、全然違う深い宗教的精神を持つ人々であると感じた。

◆ ロシアには、昔から作家や芸術家そして科学者を尊敬する風土があると言われており、『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫の時代からロシア科学アカデミーは存在しており、すでにその時には極東の島国である日本研究を始めており、イルクーツクには、日本語学校があった。

◆ それではロシアの新聞がロシア国民に伝えた、その『日本の神』とは、いったい何を行う人なのだろうか、その具体的な実体とはいったいなんなのであろうか・・・ロシアの精神的宗教的世界の中には、この問いに対する深い精神的思考の追求が昔からあったのである・・・・・それが前述した『サクリファイス』という映画を作ったアンドレイ・タルコフスキーというロシアにおけるジャポニスムの影響を深く受けている芸術家であるのです。タルコフスキーは、日本の江戸時代の文化の影響を受けていた。生け花や俳句の研究をしており、日本の浮世絵を鑑賞していた。そして日本で映画を撮影したいと思っていた・・・サクリファイスの中では、スェーデン人である映画の主人公とその子供は、前世は日本人であるとされていた・・・・

◆ ロシアという国の直観力と霊感に優れた預言者的な一人のこの芸術家は、すでにこの『日本の神』という宗教的哲学的な問いかけに対してすでに世界中にその意味を映像を通して発信しているのです。それも旧ソ連邦でチェルノブイリ原発事故が発生した1986年に、その意味が、核の時代の黙示録の世界の中で到来する救世主の姿を、だれでもわかるように寓話を以て映画映像として世界中に発信されたのです。

◆ そしてその映画を見たときに、ロシア人が内部に秘めている深い精神性と宗教性は、現在の日本の知識人の内面性を遙かに越えているものであり、ロシア人の江戸時代の人間と自然が共生して生活をしていた日本の精神文化・芸術に対する理解は、あの印象派の画家ヴィセント・ファン・ゴッホと同じなのです。ゴッホもロシアのこの芸術家もジャポニストであったと思います。サクリファイスの映画より『ジャポニスム』を取り除いてしまったらこの映画の趣旨が見えなくなるのです。どうして枯れてしまった日本の木を再生させなければならないのか・・・

◆ 何故なら、ゴッホもロシアの芸術家と同じように、『日本の木』を描き、19世紀のフランスのキリスト教社会の中で、日本から来た浮世絵を学び、東方の日の出る処の国・日本に救世主の到来があるということを知り、その未来の日本に到来する『日本の神』に向けて、自らの芸術作品である絵画を、その信仰心の種の証として、日本人に向けて蒔こうとしたからです。ゴッホの『種まく人』の絵の中の種を蒔く人は、日本の着物を着て、大きなレモンのような太陽に向けて、種を蒔こうとしているのです。この種蒔く人も、新約聖書のマルコによる福音書から来ており、ゴッホは画家になる前は、プロテスタント教会の牧師でもありました。(以前、五井野正博士の芸術講座の中で、そのような話があり、ゴッホには、預言者的側面があることを始めて知り大変驚いたのです。)

◆ このブログは、『印象派と浮世絵を通して学ぶ自然世界』というテーマとなっているので、その『日本の神』というロシアの新聞が発信したことについて、絵画や美術の表現に沿って表現したいと思います。ですから、この文章は、本当に極めて個人的見解となってしまうかもしれません。しかし、キリスト教世界の中での絵画や映画の世界には、少なからず救世主の到来に関する宗教的意味が付加されているのです。映画は、単なる日本のような娯楽作品ではなく、その中には、必ず宗教的哲学的要素があるのです。

◆ たとえば『13デイズ』にしても、キューバ危機による核戦争の危機を回避させた神の神秘的力を東方からのぼる日の出・太陽という形で映画の中で表現しており、そのことからも映画は映画ではなく、その中には宗教的意味が必ず付加されているのであり、そこが日本映画と全然レベルが違う処なのです。日本とは、骨の髄までユダヤ化された無神論の国であり無宗教の人々が住む国なので、始めから何も感性で感受することができなくなっているのです。もともとの『光りは東方より』の思想は、旧約聖書のイザヤの預言書から来ており、救世主が到来する約束の地とは、現在の人工的にバチカンの策略として作られた戦争やテロが耐えないイスラエルではなく、極東の日の出る処の国・日本であったのですから・・・

◆ そして実は日本にも、このような考えたを受け入れる人がいた。それは初代ホーリネス教会の創始者である中田重治監督であった。この人は、日本という国が、他のキリスト教国と同じように聖書の摂理の中にあるということを、イザヤや黙示録などの預言書の中から感じ取って『聖書より見たる日本』という文章を書いて、当時の日本のキリスト教会に問題を投げかけて、ホーリネス教会を分裂させてしまった人であるが、彼は他の日本のクリスチャンと違っていた。しかし、その流れを受け継ぐものは、日本のキリスト教会の世界では異端とされていた。

( しかし、そのような中田重治監督であっても、日本が聖書の摂理の世界に位置づけされている国とは認めても、ナザレのイエスがイスラエルに再臨するという考え方から出ることができなかった。イザヤ書の預言では、東の島々の中で一人者が起きると記述されているのを、ナザレのイエスを救世主としてイザヤ書を以て解釈した人々はこの『東の島々』という具体的な場所の記述を無視して解釈してしまったと思われる。)

◆ 現在の日本の全てに近い日本のキリスト教会は、欧米やヨーロッパからのカトリック教会とプロテスタント教会の影響を受けているために、日本という国が聖書の摂理の中にある国という視点を理解することも信じることもできない。それ故にロシア正教やアルメニア正教が理解する東方の日の出る処、日の本の国から到来する『日本の神』の宗教思想を信じることができないで、彼らの全ては救世主が、イスラエルに降りると信じているのである。それはナザレのイエスの再臨の問題である。しかし、ここにはユダヤ教とキリスト教の救世主に対するとらえ方の大きな差異が存在しているが、ここでは言及せず。

◆ 日本のクリスチャンの人々が、ロシアの人々が認識する『日本の神』の意義を理解することができないのは、西洋中心主義の白い肌のカトリックとプロテスタントによって、西洋のキリスト教の教義によって『本当の隠された真実』を認識する感性を失ってしまったからです。ナザレのイエスは、セム語族の黒い髪と瞳をしているアジア人であったのですから・・・

◆ そしてこの『日本の神』の意義を、日本のクリスチャンが悟るためには、この日本という国の源流が、実はノアの箱船の子孫であるアルメニア・シュメールの世界から、シルクロードを通って遙々極東の日の本の国・日本まで到来した宗教民族の流れの子孫であるということを信じることができなければ、この『日本の神』という言葉の意義を理解することができないのです。宗教民族の移動とは、必ずその背景には、宗教的な預言書による移動しなければならない内面的動機があるのであって、無目的に物理的に移動してきたわけではないのです。そしてその歴史を日本のキリスト教の人々やクリスチャンが気付くことがなければ、彼らの意識はずっとイスラエルに縛られて足もとの自分の祖国・日本で何か起きているのか気付くことができないのです。

◆ 日本の神とは、もしキリスト教的世界観・生命観の中で、その表現が許されるのであれば、東方の日の出る処・日の本の国・日本から到来するイザヤ書の中に表現されている『東方の東の島々の中に一人者が起きる。そしてそれは北でも起きる。』の救世主が到来する場所の預言や黙示録に示された『日の出る処から到来する神の刻印を持てる者』と言う表現で、その預言された神とは、東方の東の島々の中の、日の出る処の、日の本の国から到来する者であり、それが新・旧約聖書の中でで預言された『日本の神』という言葉に秘められた意義なのです。

◆ そしてその東方の日の本の国で起きる神の御業と御姿とは、具体的にどのようなものであるのか、このことが実はサクリファイスの中で示唆されたナザレのイエスが投影されている子供である童子の姿であり、その童子が行っている事が、救世主の具体的な行動の姿であるということなのです。そしてそれが枯れてしまった生命の木である日本の木の世界を再生させる人であるのです。そしてその場合の生命の木でもある日本の木とは、人間と自然が調和された共生して生きていた日本の江戸時代の文化の世界の再生であり、それは浮世絵の世界の再生という意味を秘めているのです。

◆ 1986年に世界に向けて発信された一人のロシアの芸術家が把握した『日本の神』のわざの姿を、どうして現在の日本人は、見ることができないのだろうか。もともとロシア人も日本人も、自然に対して同じ感性を秘めているのです。だから、ロシア人が感じる『日本の神』を、私達日本人も、同じように見ることができることを意味しているのです。この映画とは、ロシア人が、枯れてしまった生命の木である日本の木を再生しょうとする日本に到来した救世主の姿を、レオナルド・ダビンチの東方の三博士の来訪の絵画を通して、寓話として描いているのですから。

◆ そして現代の東方の三博士とは、枯れてしまった生命の木である日本の木を再生させようとして、日の本の国に到来した救世主の処に集まってくるのです。映画の中では、救世主の姿は、子供であり童子の姿として描かれています。そしてこのダビンチの絵画の世界が、映画の世界に投影されていると気付く時に、すでに1986年の時点で、ロシアの芸術家の人々の中には、このような『日本の神』の到来に対する具体的な認識を持っていた人が存在していたということを意味しているのです。いったい何という深い精神的宗教的感性のある国なのでしょうか・・・このようなことは、日本の社会ではあり得ないことです。

◆ ロシア人の精神性とは、ロシア正教の信仰に立って、人類や社会・文明の黙示録的運命を自分のことのように受けとめて考えることのできる人々であると言われていますが、本当にそのとおりなのです。このような精神性は、私達日本人にはないものです。何故なら、すでに1986年のチェルノブイリ原発事故の時に、『希望と確信』を持てというメッセージの遺言と供に、東方に日の本に国に到来する救世主の行動・行・御業の具体的なお姿を、映画という簡単な寓話の世界を以て、多くの人々が認識している有名なこのレオナルド・ダビンチの絵画を通して理解できるように世界中にすでに発信してしまったのですから・・・なんとすごいことでしょうか・・・私達日本人は、何も『日本の神』の到来について何も知らないのですから・・・

◆ この日本では、創価学会の池田大作を頂点とする政治権力と金力の組織が全てのマスメデイアを買収することによって、この『日本の神』の本当の真実が世間に公表されて多くの日本人に流通してゆくことを完全に止めてしまったのです。これが一番の元凶であるのです。もし創価学会が日蓮大聖人から受けていた過去の世界からの預言と本来の役割と使命に忠実であったのなら、日本という国が、現在のロシア以上の国となっていたのです。もともとの日本という国が、約束の地であったわけですから、そのために日蓮大聖人が御書の中で述べていたのです。そして現在の創価学会が、それとは反対に日蓮大聖人の魂を殺してしまったのです。いったいこの人達は何なのでしょうか。創価学会と公明党が日本滅亡の原因となったのです。そして本当は、この枯れてしまった日本の木を作り上げたのが、日蓮大聖人の魂を利用した創価学会であり公明党の悪人達なのです。

◆ そしてこの枯れてしまった生命の木である日本の木を再生する人、つまり日本の神を弾圧・迫害・誹謗しているのが、日本の反社会的宗教団体である池田大作・創価学会であり、そして公明党であるのです。ですから、このような日本の巨体宗教団体の組織こそが、ロシア正教を通して、世界中のキリスト教世界の人々より、反キリストの実体として認識される時がいずれ訪れると思います。つまり日本の社会の中に存在する悪魔・反キリスト教の団体として。現実に彼等の姿そのものが、宗教を利用した悪徳商人の反社会的勢力であったのですから。

◆ またそれと同時に、私達日本人は、戦後のアメリカの植民地政策によって、日本の教育から宗教思想が完全に消去されて、日本の多くの戦後生まれの人々が、無神論で無宗教で、マネー原理のみを信仰する完全なユダヤ化された人間となってしまいました。日本以外の海外の人々とは、それぞれの地域の宗教圏によって、宗教思想の中に自分を於いて信じていますが、日本人のみが無宗教となり、宗教的感受性を完全に失ってしまったのです。無宗教ということは、他国の宗教的信仰を反対に理解できない感性の人間であり、何の宗教も信じないということは、その人間は、マネー原理でしか動かないユダヤ化された人間と見なされるのです。

◆ しかし現在、私達日本人は、福島原発事故を通して、これから本当の意味で、この日本という国が、枯れてしまった日本の木の姿のようになってしまうということを、多くの日本人は、自らの感覚で理解できるようになりました。ロシア人と日本人には、共有できるもともと自然観があります。それ故にロシアの芸術家や知識人は、日本の江戸時代の文化に共感しているのです。そしてロシア正教の深い精神性も、このようなダビンチの絵画を通して映画を見ることによって、日本人の感性の中に流れて行くと思います。枯れてしまった日本の木・・・その姿を見て何も感じない日本人がいることでしょうか。

◆ チェルブイリ原発事故と福島原発事故、すでに私達は核の時代の黙示録の世界に生きているのですから・・・私達日本人は、少しでもよいから気付くべきなのです。ロシア正教の世界と日本は、全然関係のない世界の出来事ではないのです。枯れてしまった日本の木を再生させることが、ロシア正教の精神であり、心であり、神髄であるということをこの映画は示しているのです。それは世界の中で、ジャポニスムをもっとも深く理解しているのが、ロシアという国であり、もっとも理解していないのが、私達日本人なのかもしれませんが、しかし、何か感じることができるのであれば、そこには共有することのできる世界があるということなのかもしれません。

◆ そしてもっとも、重要なことは、そのロシア正教の人々が認識した『日本の神』とは何かということであり、その神とは、具体的にどのようなことを行う人であるのかということを、私達日本人は、彼等と同じように認識する必要性があるということです。この映画は、1986年のチェルノブイリ原発事故が起きた時にに全世界に向けて発信されたのです。核の時代の黙示録の世界の中で、タルコフスキーが述べた『希望と確信を持て』というメッセージは、彼が、その寓話の主人公を感じ取っていたからではないでしょうか。それでは私達日本人は・・・

ロシアにおけるジャポニスム・アンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』について考える。
http://riyuginnuma.blog.fc2.com/blog-entry-174.html

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プロフィール

水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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