五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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ドストエフスキー『罪と罰』の世界より都市農奴と自然世界                       ロシア正教【自然から疎外された人間の自然回帰への信仰】

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(上段二枚の写真は、東京と言う都市文明の姿、昔の緑の地が灰色の世界となっている。下段は、ロシアのタルコフスキーの映画『ノスタルジア』の一場面。ロシア映画でありながら、道教的な山水の世界が、日本的な盆栽風・箱庭風に描かれている。周辺の石造りは、キリスト教会を示して、西洋文明を意味しているが、その西洋文明の石造りの世界の中に道教の山水の世界・ロシアの自然を顕していて、現代人に対して自然回帰の必要性を訴えている。日本には、江戸時代から盆栽文化があるが、現代の日本人は、それを文明論や映画メディアの世界に反映させていない。江戸時代からの盆の文化を理解したのは、ロシアの藝術家や知識人だったのである。)

◆ 相当以前に、『ふる里村情報』を書店で購入して、本当に競売によって、山林や土地を購入することができるのかどうか、実際にやってみて、本当にポケット・マネーで僅かな広さの坪の山林を購入することができて、とても喜んで且つ社会勉強になったことがあった。というのも、商業的価値のまったくない山林を購入して、自分としては、そこにロシア映画の『ノスタルジア』に出てくる小さな山荘を建てたいと思ったからである。

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( 上記は山林を購入した頃に発刊されていた『ふる里村情報』で、その頃に書店で購入したもの。遠方に見えるアルプスの雪山の姿と森の樹木群と湖・池の姿がとても美的でとても印象的風景です。)

◆ しかし、現実は何もできなかったのですが、山林を購入したことがきっかけで、何ゆえかロシア文学や初期マルクスの人間疎外論にとても関心を持つようになったのです。マルクスと言うと唯物史観で共産主義となってしまいますが、初期のマルクスの著作である『経済学・哲学草稿』の中には、実は『人間疎外』の問題について述べられているのです。

◆ この『経済学哲学草稿』は、マルクスの二十代の若い時に書かれた草稿であって、形としてまとまったものではないのですが、ドイツ観念論のヘーゲルの弁証法やフォイエルバッハの人間論『類的本質』の影響を受けて『人間疎外』の問題について分析をされているものです。そして人間疎外の原因について、実存的考察をしています。

◆ これはあくまでも個人的解釈になりますが、この社会の一番の問題とは、人間が自然から疎外されて、人間と自然が分離・分裂してしまっているということが、一番の問題であり、本当は人間とは、自然の世界の中で、自然を感じてゆく感行の中に、人間の類的本質があるのだということを『経済学・哲学草稿』の中で述べていたような気がします。それでは自然を感じてゆく中で見いだされる人としての『類的本質』とは何か?と。類的本質とは、人類としての本質と言う意味です。そしてこの問いは、フォイエルバッハ的なのです。

( フォイエルバッハとは、『キリスト教の本質』と言う書物を著した人で、神とは、人間側が想像した産物であると言う、人間の姿を投影したものであるという思想。人間が自然との関係性の中で、自然を人間にとってプラスに働きかけるものを神と規定して、自然を人間にとってマイナスに働きかけるものを悪魔と規定したが、その基本は、人間と自然との間の関係性の中で、人間側が自然との作用の中で、勝手に神と悪魔と言う概念を作り上げたに過ぎないということ。その根本には、宗教思想が作り出す自然観があるということ。そして人間と自然の関係性の中に人間疎外の問題が隠されていると。) 

◆ 私は、そのような疎外論を知るにつけ、人間が自然に回帰する必要性を説いた映画と言われるものがないことに気付きました。それは、そのまま現代人である私たち自身が、その必要性を感じていないということの顕わであるのかもしれません。本来、故郷損失者は、自らの民族の、出自の世界のふる里の世界に『ノスタルジア』を感じて、現在の都市文明の在り方の中に矛盾を感じるのですが、現在の日本人は、この『ノスタルジア』を感じる『感性』そのものを失ってしまっている状態なのです。

◆ またそれと同時に、世界の民族の中で、長期間にわたって、自然の世界から疎外されて分離・分裂してしまっている民族がユダヤ民族であるということがわかってきました。何故なら、ユダヤ民族とは、自らの故郷を失ってしまっている故郷損失者であり、回帰すべき自然の世界、自然の国土、自然の土地がないということは、彼らは自然世界から疎外された民族でもあるからです。つまり、自然世界から疎外された流浪の民が、資本主義の貨幣の世界に住むのがユダヤ民族であり、またそれがユダヤ化された人間であると言うことです。

◆ それ故に彼らは、他国の社会に寄生しながらも、その国の自然の世界ではなく、自然とは違う貨幣や資本という人工的な虚構の世界を作り上げ、その虚構の世界に住む民族となったのです。そしてその貨幣の世界に住む民族は、他国の経済の中に増殖して、その国の自然の世界を破壊して、その国に住む国民を、ユダヤ民族のように自然世界から分離・分裂させたのです。

◆ そして自然の世界から疎外させて、自分たちの貨幣という虚構の世界の論理に組み込むことによって、他国の自然の世界を破壊して、そこに住む人間たちを意図的に自然の国土の世界から分離させて、他国の国民も自分たちユダヤ人と同じように、故郷損失者として作り上げてきたのです。

◆ そしてこのように人間が自然の世界から分離・分裂して、自然世界との感行によって、人間の本質を見つめてゆく世界から、貨幣と言う虚構の世界に生きるようになった自然から疎外されて、資本や貨幣の世界の中に生きようとする人間を、19世紀の西欧の哲学者たちは人間の【ユダヤ化】という言葉で表現したのです。でもこのようなことは、現代社会では忘れられてしまいました。何故なら人間のユダヤ化は、今日の社会では当たり前のこととしてすでに問題視されていないからです。

◆ そして人間が自然から分離・分裂して、自然界から疎外されて、貨幣や資本の世界で生きる人間が【ユタヤ化】された人間という意味であり、その代表的な国が、私たち日本と言う国なのです。現在の私たち日本人こそ、完全にユダヤ化された民族であり、ノスタルジアを感じることのできない故郷損失者であるのです。

◆ ドイツやロシアという国では、その国の自然と人間・民族が過去の世界から深く繋がりがあるということが、感性的に理解できる人々であるが、現在の日本人には、それが完全に学校教育によって切断されている状態なのです。私たち日本人は、学校教育によって故郷損失者となり、自然から疎外された【ユダヤ化】された日本人となったのです。


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(上記は、オムネク・オネクの本です。過去の金星の都市文明社会の中にも、金星にもレ・ミゼラブルの世界があったことを暗示しています。下段は、歌川派浮世絵展の図録で、五井野正博士がジャポニスム・日本主義について述べられています。)

◆ そんなことで、特に人間の自然からの分離・分裂そして貨幣・資本の世界に生きる人間の【ユダヤ化】の中で特に関心を持ったのが、ドイツという国でした。それは一つの国の中で急速に人間のユダヤ化が進んでゆく中で、当然、その流れに対して否と反対する人々がいるからです。特にドイツの中では、ワンダーフォーゲル運動という自然に回帰する若い世代の広範囲に渡る社会現象が顕わされてきたからです。でも反対にこの日本では、完全に人間がユダヤ化されてしまい、おかしいと思う感性そのものがなくなっていったのです。

◆ ちょうど、ふる里情報で山林を購入してから、ある雑誌に日本のサラリーマンや労働者階級は『都市農奴』であると述べている海外からの情報を掲載している雑誌を読み大変驚きました。何故なら、『農奴』という言葉が19世紀のロシア文学の世界を顕わしている言葉のように感じられて、それを読んだ時に日本の社会は、段々と19世紀の階級社会に後退してゆくのだと感じるようになったのです。つまり、19世紀のロシア文学の世界とは、現実の都市農奴の世界である東京の中に顕わされていると・・・・ちょうどその頃は、仕事の中で労災関係の担当となり、巷では過労死の問題がニュースで流れて、この『都市農奴』と言う言葉に衝撃を受けたからかもしれません。

◆ そして昔の農奴は、その土地、その自然の世界に縛られていて自由がなかったけれども、自然の世界の中に生きていた。しかし今日の都市農奴とは、歴史的にみると農奴解放によって、自然の世界でもあった土地の呪縛からては解放されて自由となったけれども、自然の世界から分離・分裂を受けて、今度は反対に自然から疎外され、都市農奴は、貨幣と資本の世界に組み込まれて、一番始めに故郷損失者となり【ユダヤ化】された人間となってしまった・・・

◆ そして今日、完全に感性がユダヤ化された都市に縛られて生きている人々が都市農奴であり、その具体的な例が東京という灰色の世界に住んでいる私たちの姿なのです。それは日本の社会が、アベノミクスによって、さらに小泉改革の時以上にこの日本の社会が19世紀の階級社会に逆行しているのです。その証拠にドストエフスキーの【罪と罰】のラスコーニコフの世界は、日本中に至る処に転がっています。それは年寄りの世代は、豊かな世代であり、若い世代は極端に貧しい社会です。オレオレ詐欺は、その縮図の世界でなのです。日本の高齢者は、とても豊かであり、若い世代は極端に貧しく、この世代間格差社会こそ、ドストエフスキーの『罪と罰』の世界のようです。ラスコーニコフの犯罪が、まさに日本の『オレオレ』詐欺なのです。

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( 上記はドストエフスキーの肖像画、彼の描く人物像は、反共産主義であり、目的のために手段を選ばない共産主義者のやり方・テロリズムを悪霊に譬えて批判している。その上でロシアの大地、ロシアの自然への回帰を通してロシア正教の持つ意味について述べていると思われます。タルコフスキーは、このようなドストエフスキーの人間観・自然観に大きな影響を受けている。それはドストエフスキーが生きていた時代に、黙示録の中で指摘されていた赤い獣が共産主義者としてテロリストの悪霊の形で具現されて、タル コフスキーの時代には、それがソビエトとして赤い獣の弾圧をタルコフスキーは受けてきたからです。ドストエフスキーにもタルコフスキーにも、同様な共産主義と言う社会的背景があったのです。)

◆ おかしな話ですが、19世紀のロシアの農奴社会は、すでに今日の日本の格差社会・階級社会の中で『都市農奴』という形で顕わされてきて、現在大きな問題となってきっても、アベミクスの社会では、この階級社会がさらに加速されてゆくのでしょう。しかし、そのような中でも、ドストエフスキーの代表作である『罪と罰』の世界では、ロシア正教の中でも分離派の信仰者で聖なる娼婦であるソーニャが、金持ちの高齢者の女性を殺害した青年・ラスコーニコフに述べた言葉は、ロシアの大地への接吻であり、懺悔でした。ラスコーニコフが、都市化・近代化によって自然の世界から分離・分裂して貨幣の価値観の中で生きるユダヤ化された都市農奴であるのなら、彼を諭すロシア正教分離派の信仰者であり、マクダラのマリアの化身である娼婦ソーニャは、ロシアへの自然の大地へ回帰することを説いた人であったのです。

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( 上記は罪と罰の映画のシーンで、左側が、ロシア正教で分離派のキリスト教徒であり、国家公認の聖なる売春婦でもあるソーニャ、右側は、大学を中退して金持ちの老婆を殺してしまった青年ラスコーニコフです。上段は、古書籍の表表紙です。動画は、1969年版の罪と罰の映画のイメージ映像です。また、映像の中で小柄な女性が、ロシア正教・分離派の信仰者ソーニャで、長身の綺麗な女性は、ラスコーニコフの妹のドウニャーです。)

◆ それはつまり、ペテルブルグを中心にロシアでは、西欧化・都市化が進み、そこにラスコーニコフのような都市労働者が集中して、ロシアの自然、ロシアの大地との分離・分裂は、同時にロシア正教の信仰からの分離・分裂を意味していたけれども、そのような自我意識を形成する方向に進むのではなく、聖なる娼婦であるソーニャを通してロシアの大地と一体となった信仰であるロシア正教への回帰の必要性が述べられて最後の結論として描かれています。つまり、ロシア正教とは、ロシアの大地・ロシアの自然への回帰の信仰でもあるのです。そしてこのようなことが、ノスタルジアの映画の世界には、織り込まれています。

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( 上記は、ロシアの映画監督タルコフスキーのノスタルジアの映像、ロシアのふる里である森とダーチャのような家が描かれている。ドストエフスキーは、暴力やテロ行為による共産主義革命者を悪霊と呼び否定していた。そしてロシアの自然、ロシアの大地への信仰のシンボルであるロシア正教への回帰を聖なる娼婦・ソーニャを通して、悪霊の化身でもあるラスコールニフを説得して悟らせようとした。)

◆ それでは現在の東京に住んでいる、日本の都市文明の世界に拘束されている私たち都市農奴は、社会が19世紀の階級社会に逆行してゆく中で、さらにそこに東京大震災や東南海地震さらに富士山の噴火や福島第4原発の崩壊という巨大な複合災害の予測される中で、いったいどうしたらよいのでしょうか。どこに進むべき羅針盤があると言うのでしょうか。これは若い世代の人々にとっては重大な問題であり、これから起きてくる差し迫った大きな問題であると思われてなりません。いったい、私たち都市農奴の進むべき道とは、どこにあるのでしょうか。

◆ 上記の本は、これまで何度も様々な角度から本の紹介をしてきました金星人オムネク・オネクの本ですが、この本の中では、現在の日本の社会と同じような階級社会が、金星の歴史の中でもあったことが書かれています。少し長い文章となりますが下記に抜粋してみました。金星の労働者階級の置かれている社会状況と現代のアメリカの1%の国際金融財閥に支配・コントロールされている日本の社会の中の都市農奴の置かれている社会状況は、とてもシンクロしているのです。それはまるで過去の金星で金力と権力を持っていた一部の特権階級の人々が、この地球に転生輪廻して、同じことを繰り返しているようにも思われてきます。神話的に表現すれば、富と権力の象徴でもあるラインの黄金の問題は、金星の世界から地球に落とされたと・・・


オムネク・オネクの本 ㌻102 【戦争と都市の荒廃ー今日の地球とまったく同じ状況】

㌻104~『・・・核エネルギーと核爆弾は金星の社会を大きく様変わりさせました。自爆自棄となった各地の支配者たちが互いに核兵器で攻撃し合い、美しい大地は広範囲にわたって破壊されました。金星は裕福な少数グループによって支配されるようになりました。それは今日の地球とまったく同じ状況でした。大衆の命はこの少人数のエリート集団にとってはゲームの道具であり、勝者が大部分のお金と人々を長い年月の間ずっと支配できたのです。チェスのコマはもちろん下層階級にいる膨大な数の民衆です。』

『・・・身分格差は街の通りや建物、そして公園やあらゆるところに顕著に見られました。貧しく、教育を受けられない最下層の人たちは、地球の都市部で見られる最悪のスラム街の人たちと同じように、暗くてもの寂しい場所で暮らしていました。太陽の日差しが最下層のレベルまで届くことはめったにありませんでした。時が経つにつれ、不遇な大衆の生活はすべての面でさらに悪化してしてゆきました。長い歳月の中で、革命を起こそうとするささやかな試みが何度も繰り返されましたが、どれもむなしい結果に終わりました。と言うのは、大衆は支配層によってあらかじめお膳立てされたゲームに無意識に参加し続けていただけだったからです。』

◆ これを読むと本当に現在の私たちの社会と同じ状態が過去の金星の歴史の中でも起きていて、1%のアメリカの少数の人々である国際金融財閥に支配されている状況と同じことが起きていたと思われてなりません。特にその中で印象深い記述は、その時の金星の都市文明の中で、最下層の人々が住むスラム街には、太陽光線が届かない暗くてもの寂しい場所に住んでいたということから、その時の金星の都市部の世界では、地球のような都市化によって、超高層ビルの建物があって、最下層の人々には、日差しが届かなかったということから、金星の最下層階級は、日差しが届かない地表部分に住み、特権階級は、都市部の中の上層階に居住していたことがわかります。

◆ また、多くの大衆が無意識にゲームに参加させられてたという記述から、金星の少数の裕福な特権貴族階級が大衆をマインドコントロールしていたということが推測できると思われます。これと同じ事が、私たちの社会でもすでに行われつたつあります。それはキリスト教の黙示録の世界の中で警告されている世界の具現化です。つまりそれは、マイクロチップをワクチン接種によって、始めは社会機能維持者に入れてゆき、序々に国民全体に感染症問題やパンデミック問題を通して接種を浸透させてゆき、完全にマインドコントロール化された管理社会を作り上げてゆく。

オムネク・オネクの本 ㌻104~㌻105 【始まりの時ー社会構造の超改革へ】

『 しかし、労働者階級による静かなる反乱がすべての都市で同時に起こり始めていました。そしてそれはついに一つの方法として実現に向かっていたのです。人々は自分たちが置かれた立場にもううんざりしていました。そして自分たちの秘密の策略が成功したとしても、自分たちは決して他の人々を支配する権利を持たないことを誓い合いました。』

『 しかしその偉大な目的を実現させるためには、長い年月にわたる過酷な努力と犠牲が必要とされました。惑星規模の変革は一夜にして起こせるものではなかったのです。労働者階級は彼らの目的に忠実な信頼できる人物たちを政府機関に潜入させるために熱心に活動を始めました。彼らの願いは、自分たちが擁立した政治的指導者たちを選挙で当選させて政界の上層部に入りこませ、権力者の意向を無視して民衆を自由へ導かせることでした。そのためにふさわしい候補者たちを準備し、政府高官にまで上りつめられるようにさまざまな異なった選挙で後援していくには非常に多くの歳月を要しました。』

◆ さて、上記のオムネク・オネクが述べている過去の金星の歴史の一断面を見る時に感じることは、上記の記述とは、金星の過去の歴史であると同時に現在の地球上の私たち都市農奴でもある労働者階級の世界そのものではないかと多くのこの文章を読む人々は感じるのではないでしょうか。つまり、金星と言っても、私たち地球人と同じ人間であり、その人間が作り上げた社会であり、過去の金星の社会の発達史にあっては、金星は現在の私たち地球での資本主義の社会を経験してきたとこの文章を読むと考えることができると思うのです。金星にも現在の1%の特権階級による支配の歴史が過去にあったと述べているのです。

『 そしてついに十分な数のキーマンが選出され、皆がずっと待ち望んでいたその日がやってきました。人々はそれを簡潔に『始まりの時』と呼びました。全員にとって最も忘れ難い思い出となったこの日、金星で最も尊敬されていた指導者たちは政府と軍隊を撤廃しました。都市部の人々は持っていたお金を喜び勇んで通りに撒き散らしたりガレージ缶に投げ入れて燃やしたりしました。』

『 この最初の栄光の日に、人々は衣類、食料、そしてこれから植える野菜の種だけを携えて、あちこちの都市部から大勢で行進を始めました。彼らは荒廃した都市も、自らの所有物も、家庭も、車も、そしてこれまでの古い生活スタイルを象徴するあらゆるものを捨てました。彼らの目指すものはシンプルでした。だれもが家族をささえるために自分で働いている田舎町に移動することです。』

『 保証のない新しい生活のために安住の地を離れる決意をしたこれらの人々の勇気と信念の行動はただただ目を見張るばかりでした。もちろん日常の便利さに愛着のある人々の多くは、都市部を去ることをためらっていましたが、同時に荒廃した街に取り残されてしまうよりはましである分かっていました。お金持ちや権力者たちは立場が悪くなっていました。』

『 下層階級の人たちは、これまでの生活スタイルに完全に背を向け、後戻りする気持ちなどはさらさらなく、このまま何らかの社会構造の中で居残って富と権力を再分配してもらおうなどとはまったく思っていませんでした。彼らは自分たちの力で新しいゲームを始めようとしていて、それは権力者たちにはできないことであったと同時に、そうする意思もないものでした。』

◆ もし、私たちが自分の身を、金星の都市文明社会の中に置かれている労働者階級と同じ状況が、今日の日本の都市文明社会の中で、都市農奴として同じような状態に置かれていると感じることができるのであれば、この金星の社会の発達史の中で起きた『始まり時』という人々の自然の世界に回帰してゆくという社会運動は、実は金星の社会だけの問題ではなく、ドイツのワンダーフォーゲル運動や日本の白樺派の社会運動の中にも同じ理の世界が顕わされていることに気づいてくるのではないだろうか。ここには共通の自然と共存して生きる浮世絵の日本主義・社会主義の世界があるのであり、この理の世界を日本の若い世代の人々が気付いてゆく必要性があると思われてなりません。

◆ 先日、7月14日に信州で五井野正博士の講演会があり参加をしてきました。その講演の中で博士は、若い世代の人々が東京から脱出して信州に来る必要性があるような話をされていたと思います。いずれにせよ、現在のアベノミクスの経済政策によって、現在の都市部で働く都市農奴である私たちは、経済的にも行き詰ってしまうのです。このことはすでに若い世代の人々は気付く必要性があります。そしてその上で都市部や首都圏で起きてくることは、東京大地震であり東南海トラフ地震であり、富士山の噴火であり、それらの自然災害によって引き起こされる福島第4原発の崩壊なのです。

◆ そして恐らく日本の都市文明社会での【始まりの時】とは、金星で起きたことは違い、それは巨大地震や津波による自然災害による都市文明の崩壊と思われます。そしてその上で改めて、五井野正博士が、これまで長い間、日本の都市文明社会の中で示されてきた【ふる里村情報】の中に顕わされてきた自然世界への回帰の道でもある【ジャポニスムの思想】について、私たち日本人は気付いてゆく必要性があると思われてなりません。

◆ 金星と日本の都市文明で起きたことの大きな違いは、日本の社会では、自然回帰の思想は、【ジャポニスム・日本主義・社会主義】なのです。そして金星の花である【ひまわり】を描いた後期印象派の画家・ヴィセント・ファン・ゴッホは、金星から地球に転生輪廻をしてきた人とも言われて、ゴッホはジャポニスム・日本主義・社会主義を、近代化された都市文明社会に生きる私たち日本人に示した人でした。
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プロフィール

水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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