五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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資本主義とナザレのイエスの教え②                           新約聖書『天に宝を積むこと』の本当の意味について



◆ 資本主義に関連してのナザレのイエスの教えについて、博士から以前の講演会の中で聞いた話として・・・・ナザレのイエスは、『金持ちが天国に入ることは、ラクダが針の穴を通ることよりも難しい。』と新約聖書の中で『天に宝を積む』ことのを述べられています。

◆ 博士によるとこのナザレのイエスの教えの中に示されている道理は、現在の私達の管理通貨制度と言う俗にマネーが支配する現在の資本主義経済にあって、そのマネーの業の世界より最後に離脱するための方法論を示したものであって、この教えの道理は現在でも生きているということなのです。そしてこの道理の実践をしない限り、私達は、このマネーの持つ業の世界より離脱して、娑婆世界ひいては天界へ行くための道はないということなのです。

◆ 欧米のキリスト教社会では、資本主義と言っても、このナザレのイエスの教えは、キリスト教会を通して多くの人々の意識の中にその『法』が浸透しているので欧米社会では、資本主義によって、たとえば莫大な富を持った人々であっても、このイエスの教えが浸透しているために、富を得た人々は、その富を慈善事業などに寄付をしなければ反対に罪悪感が起きてしまい、自らの富を寄付することによって、イエスの教えを実践して富を社会還元するという思想があるそうです。

◆ そしてこの考え方は、社会の中で得た自ら得た富の寄付を行い、このマネーの持つ業の社会の中であえて布施行を行うということが、このマネーの持つ業の世界から反対に離脱して解脱するための最後の出口となる道であって、そのような富の布施行をすることによって、マネーという業の世界からその人は離脱して、始めて天の世界へ行くパスポートを持つことになるということです。

◆ つまり、富を得ただけでは、その富の持つマネーの世界からは抜けられないということであり、富を持てば反対に持ったことによって、また別の苦しみを受けるのであり、金の持つ業の世界に戻ってゆくということであり、富を得ただけでは、富の持つ業の世界より離脱できないで、またその富に執着すれば、輪廻によって貧しくなってしまうということです。


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◆ 仏法では、そのような金の業の世界を、娑婆世界の下方に存在する『金輪』の世界として述べられています。昔の言葉で表現すれば『金輪際しません』という言葉の表現に使われている『金輪』を意味していて、この金輪とは、娑婆世界の下に存在している地獄の世界を意味していて、それは金輪と言う金の輪の世界を意味していて、それは今日の資本主義社会における銀行券の輪の世界であるのです。

◆ 仏法の世界によって観るのであれば、現代社会がいったいどのような位置づけとなり、私達がどのような世界の中で生きているのかと言いますと、実は現代の世界とは、けして娑婆世界ではなく、娑婆世界を通り越した娑婆世界の下方に存在している地獄界と言う『金輪の輪の世界』に、私達の社会・衆生世間がそのものが下落しているということを意味しているのです。つまり、金輪と言う銀行券の輪の世界は、けして娑婆世界ではないということのです。

( 上記の古代インドの宇宙図の中では、娑婆世界とは、海の中に浮いている4つの島の中で、手前にある台形のような三角形の形をしている【セン部州】が娑婆世界のことを意味しています。)

◆ そしてこの金の持つ業の世界に落ちているゆえに、人間や自然の生命が金輪である銀行券の下に置かれているのです。故にこの金輪という地獄の世界から離脱して娑婆世界或いは天界に戻るためには、ナザレのイエスが教えた富の布施行が、このマネーの持つ業の世界より離脱するための修行方法であって、単に富を得たのでは、富の世界の業、金の持つ業の世界より離脱できないということなのです。

◆ 真理の世界から観れば、むしろ富を持ったまま金輪の底に沈んでゆくのです。むしろ富を得た人は、その富を布施行することによって、その金の持つ業の世界・金輪の世界から離脱してゆくということで、その意味で今日においても、このナザレのイエスの教えは、生きているということなのです。

◆ しかし、多くの人々は、莫大な富を得るということまで行かず、その行を行うまで進むことができないので、反対に貧しいというだけでは、このマネーの持つ業の世界から離脱はできないということなのです。それもマネーという途轍もない海の底に沈んでゆくようなものなのです。

◆ つまり、私達のように労働によってお金を得ている人々にとっては、労働できなければ、金の輪の世界から離脱することではなくて、金の輪の底に、今度は借金と言う形で金縛りの状態に入り、最後は破産という形で金輪の世界から離脱する方向ではなく、金の輪の重みを受けることになり、この金輪の重みによって、今度は肉体の細胞が影響を受けて、細胞が破壊に向かってゆくと言う道理があるということです。

◆ そのようなことで、欧米のキリスト教世界では、このようなナザレのイエスの布施行の教えが社会の中に生きているのですが、それとは別に、欧米では日本人の労働に対する価値観とは異なって、人間は労働することなくして、富を得ることが重要であり、苦労してマネーを得るという考え方はないということです。

◆ 欧米人にとっては、労働するということは、奴隷階級を意味しており、労働することなく、お金を得ると言うことが大切なことであり、その富によって働かないで楽しく生活することが重要であって、そのような欧米人からすれば、労働して苦労して一生を終える日本人の生き方は狂っている人間であり、何のために生きているのかわからない人々と写り、どんな国でも会社と言う体制のためにボロボロになって生きている人間はいないということです。

◆ そして労働することなく富を得ると言うことが、資本主義の本質であるということなのですが、それでも彼ら欧米人が現在の日本人と異なっていることは、社会の中で富を得たものは、ナザレのイエスが示したように、その富を慈善事業に『布施』をすることを実践する人々が欧米社会の中には存在するということなのです。

 追記

◆ 上記の絵図は、古代インドの宇宙観で須彌山を中心とした仏教の世界観を顕したものです。そして博士の説明では、現在の私達の住む社会は、実は娑婆世界ではなく、娑婆世界の下方の金輪という世界まで下落していると以前説明がありました。金輪の世界とは、架空の世界ではなく、仏法の道理の世界では、今日の銀行券による輪の世界つまり、管理通貨制度というマネーの世界を顕しているのです。

◆ 私達の住む社会が、仏法の眼で見た場合に、どのような位置づけにあるのかということを、始めに理解して認識するということは、とても重要なことです。仏法の世界では、1052年には末法に入ると述べられています。そして、それから900年以上経過した現在の西洋の科学文明に汚染されたこの社会が正しい仏法の眼で見るのであれば、今日の世界がどのような位置にあるのか、このようなことは、正しく仏法を説く人が、この世界に存在して始めて、真理を聞くことができるのですから、そのような意味で、私達の社会が、金輪際の世界に落ちていると認識して、始めて私達の意識が、正気に戻ることを意味しているのです。 

◆ つまり、この世界、この日本とは、娑婆世界ではなく、地の下に存在している金輪の中に沈み込んだ世界であると・・・このようなことを認識するとナザレのイエスの教えが、現在でも生きているという博士の説法の意味がよく解ってくると思えてなりません。

◆ 多くの日本の社会の中で、仏教を学んでいる人々は、正しく仏法を説く人を識別できないので、今日のマネーの支配された社会を仏法の眼から見た真実を認識できないのです。また博士のことを、現在になっても批判・中傷している人々は、このような仏法の道理の説法が理解できていない人々なのです。

◆ そして正しく仏法を説く人を理解できないで、反対に金力と権力を金輪の世界の害毒をまき散らすソンテジャクのような潜聖増長慢を反対に、本当の智恵者であると錯誤・錯覚して、多くの人々に真実とは反対のものをまき散らす根本の無明とも言える人々であると述べることができると思われます。人々を正気に戻す教えを、反対にその理解から遠ざけ、正気に意識が戻らないようにさせているのです。それは恐ろしいことです。

◆ 博士の以前の話の中では、江戸時代までの日本人は、この須彌山を中心とした仏法の道理の世界観を認識して生きていたと話をされていました。ですから、博士がこのような世界観の話を江戸時代の人々にすると、みんなが寄ってきて、その仏法の話を聞きに来るそうです。つまり、その時代では、みんなが関心を持っていて、道理の説法をする人がいれば、聞くという姿勢が自然に備わっていたのでしょう。

◆ このような姿勢は、たとえば今日のタイやチベットに住んでいる人々も、現在の日本人は信じないかもしれませんが、この須彌山を中心とした仏教の宇宙観の中で生きているのです。そしてそのような人々からすれば、博士の説く仏法に対しての説法がどれだけすごい内容であるのか、みんなが聞きに来るということが想像できることと思われます。

◆ その意味からすれば、タイやチベットの人々は、現在の日本人よりもはるかに、精神文明の世界の中で生きている人々であり、それが自然なのです。日本で学校教育を受けて、福沢諭吉の世界に入り洗脳されてしまうと、正しく仏法を説く人の話を受けられなくなるだけでなく、そもそも本当の真実に出会うための縁起が成立しなくなってまうのです。つまり、始めから学校教育によって、真実に向かうための羅針盤が狂うのです。

◆ そのような意味で、はじめにこの須彌山を中心とした古代インドの仏教の宇宙観を学ぶことは、必要なことと思います。オムネク・オネクの本で表現すれば、仏教で説く階層世界を理解するということになると思います。オムネクが示した階層世界とこの仏教の世界観は、矛盾しているものではなく、オムネクの話をした階層世界もこの中に含まれるのです。( 博士によると、たとえば、オムネク・オネクが述べるアストラル界は、三十三天、コーザル界は、夜摩天に位置付けられるとのことです。すべて仏教のこの宇宙観の中に包含されるのです。)

◆ そしてそのような階層世界の生命が無限に存在しているということを信じることが大切なことなのだと思います。つまり生命とは、地球上だけのものであり、人間とは、地球だけの存在という閉鎖され限定された世界観ではなく、真実とは、様々な階層世界に、人間が存在しており、それらの生命は全て繋がりを持っているということです。昔の人々は、普通にみんなそのそようなことを受け入れをして、その中で生きていましたから、当たり前の自然なことだったです。私達は、日本の学校教育の世界観から解放されないと、本当の生命の世界と接続できなくなってまうかもしれないと思います。
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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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