五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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Van Gogh in Context ゴッホ展より                ゴッホが読んでいた書物について

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( 上記は、ゴッホの種蒔く人、五井野正博士の講演会の中では、この種を蒔く人は、日本の着物を着ていると言う。 )

◆ 上記は、2005年に東京国立近代美術館で行われたゴッホ展の図録ですが、実はこのゴッホ展の時に、ゴッホが生前どのような本を愛読していたのか、その書籍の展示もあって、一般的にはあまり知られていないゴッホの蔵書を少し知ることができて、ゴッホのことを調べていた時に、ゴッホと同じ本を読んで追体験してみたいという気持ちもあり、展示会やこの図録で知ったゴッホの愛読書を探して何冊か購入して読んでいた時期がありましたがどちらかというとキリスト教関係の書籍でした。

◆ 上記は、『石膏像のある静物』と言う絵画で、中に描かれている書籍は、上の青い本がモーパッサンの『ベラミ』で下の黄色い本がゴンクール兄弟の『』ジェルミニー・ラセルトゥー』と言う本らしいです。ベラミとは、『美貌の友』と言う意味らしく、上流階級の夫人の愛人となって、立身出世をしてゆく青年の物語で、ジェルミニー・ラセルトゥーとは、女主人に仕える女中の物語で、悪意ある男性に貢ぎ、最後は施療院で亡くなってゆく女性の物語のようです。他にもゴッホは自らが学んだ書籍を描いているのですが、図録を見て私が印象深く感じたのは、やはりエミール・ゾラの作品が多いことでした。

◆ それから身近なゴッホの問題と境遇が似ている世界と恋愛物の小説も多いと思います。たとえば小説の主人公が牧師であったり、娼婦であったりする小説を読んでいると思います。たとえば、ゾラの『娼婦ナナ』や『ムーレ神父のあやまち』などありますが、特にムーレ神父のあやまちとは、牧師が女性と出来てしまいお話です。その中で一番興味が沸いたのは、ゴッホがどのようなキリスト教の書籍を読んでいたのか関心がありました。

◆ と言いますのは以前、五井野正博士の芸術論の講演会の中で、ゴッホが東方の日本という国に救世主の到来があるということを認識していて、その上で、太陽或いは黄色い円光である日本に向かって『種を蒔く人』の絵を描いていたという話を聞いたことがあるからです。

◆ このゴッホの『種蒔く人』は、新約聖書のマルコによる福音書の中に述べられているナザレのイエスの譬え話の一つですが、ゴッホは自らの絵画を種に譬えて、近未来に日本に到来するであろう救世主のために、自らの絵画を預言として、その地に住む日本人に対して、自らの預言の絵画を蒔こうとしたのだと博士から話を聞いてからゴッホは、牧師であり画家であり、そして預言者のような素質を持った人なのだと思うようになったのです。

◆ 特に東方の日の出る国、或いは東方の東の島々に、ひとり者が立つという救世主の到来の預言は、旧約聖書のイザヤ書や黙示録の中に述べられていて、日本ではホーリネス教会の中田重治監督という人が『聖書より見たる日本』と言う説を述べて、ホーリネス教会を分裂に追い込んだという話もあるのです。

◆ 日の本の国・日本に救世主の到来が有るという思想は、昔から東方キリスト教会に伝えられているものであるのです。東方のキリスト教会とは、西ローマ帝国起源のカトリック教会ではなく、東ローマ帝国或いはビザンチン帝国起源のキリスト教会で、アルメニア・ロシアなどの東方正教会の流れです。

◆ しかし、どうして西洋諸国のキリスト教であるカトリック教会やプロテスタント教会では、絶対認識されていない東方の日の出る方向の国・日本に救世主の到来があると言うことを、何故、アルメニア正教やロシア正教ではないゴッホが認識できたのか、当時ヨーロッパ人でそのような認識を持っている人などいないと思うのですが、ゴッホが何故認識できたのかとても関心があったのです。

◆ そのようなことから、そのような人物がどのようなキリスト教の書物を読んでいたのか、大変興味を持つようになったのです。そしてその中で現在でも簡単に手に入る有名な書籍として、エルネスト・ルナンの『イエスの生涯』と言う本がありました。下記は、ヴァン・ゴッホがルナンについて言及されている書簡の一部です。


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( ジョゼフ・エルネスト・ルナン(Joseph Ernest Renan、1823年2月28日コート=ダルモール県トレギエ - 1892年10月12日パリ)は、フランスの宗教史家、思想家。近代合理主義的な観点によって書かれたイエス・キリストの伝記『イエス伝』の著者。)

◆ 1875年5月8日、テオへの手紙の中のルナンの言葉。

 『世の中で行動するためには、自らを滅却しなければならぬ。宗教思想の伝道者たらんとするものにはこの思想以外に祖国はない。ひとはただ幸福であらんがためにこの世にいるのではない、たんに正直であらんがためにいるのではない。かれは社会のために大いなることを実現するために、崇高に達せんがために、おおかたの人々がその中で生きながらえている卑俗をのり越えんがためにこの世にあるのだ。』

◆1889年、アルルから妹に送った手紙の中で、ルナンについて・・・
 
『ルナンのあのすばらしい本をまだ読み返していないが、オリーブの木や特徴のある植物や青い空のあるところで、どれほど度々あの本のことを思い浮かべることだろう・・・ああルナンは何と正しくー誰にもしゃべれぬフランス語で彼が語るあの作品はすばらしいことか。』

◆ 上記は、ゴッホの書簡でルナンについて言及されている僅かな部分ですが、ゴッホは、ロンドンの若い時代から、ルナンの影響を受けていて、アルル時代でも述べていますから、恐らく長い期間にわたってルナンの影響を受けていたと思われます。

◆ もちろん、ルナンの『イエス伝』にそのような預言のことが書かれているということではないのですが、ゴッホがルナンの『イエス伝』を大変評価していたので、何か示唆するものがあるのではないかと思ったのです。そのようなことで、ルナンの『イエス伝』のことで少し述べたいと思います。と言うのは、このルナンとナザレのイエスがアフガニスタンに小乗仏教を学びに来ていたということが面白いことに少し繋がるからです。

◆ 但し、ルナンは、反カトリック教ではあるが、印象主義者やゴッホのように日本主義者ではありません。ゴッホがルナンに共感したのは、これまでの伝統的なカトリックやプロテスタントなどのキリスト教会に対して、人間イエスを押し出して、否!とカトリックに反撃したからではないかと思います。

◆ ルナンのイエス伝は、新約聖書の中のナザレのイエスの物語から、非科学的な超常現象を全て取り去って、ナザレのイエスを神として描いているのではなく、一人の人間としてヒューマニストとして描いているのが特徴的であり、そのイエス観は、カトリック教会やプロテスタント教会とは違うナザレのイエスの姿を表しているのです。
はっきりしていることはルナンは、反カトリックです。そして現代的に表現すれば、イエスは、一人の人間であり、マクダラのマリアは、イエスの愛人だったと主張するのが、今日のルナンの姿でしょう。

◆ つまり神としてのイエスではなく、人間イエスの姿を描いています。そしてその人間イエスの姿が不思議と仏教に近い姿となっているのです。と言いますのはおかしなことですが、このイエス伝の中では、わずかですが仏教に言及している箇所があるのです。何故『イエス伝』の中で、ルナンは仏教の世界を引用するのか、この感覚は、これまでのカトリック・プロテスタントの世界ではあり得ない話でしょう。それはルナン自身が、仏教を学んでいてキリスト教と比較しているように思えるのです。下記にその一部を引用します。

① 古代ペルシャでは、世界の歴史は、千年ごとに変化すると考えられた。それぞれの時代を一人の預言者が治める。各預言者は、千年の治世を受け持つ。ちょうどインドにおいて、各ブッタが幾百万年の時代(無量劫時)をそれぞれ受け持つようなもので・・・・(㌻36)

② ヨハネは文字通り自分を取り囲んでいる砂漠に、まず心ひかれた。らくだの革かその毛で織った布を身にまとい、いなごと野蜜とだけを食べて、まるでインドのヨガの行者のように暮らしていた・・・(㌻68)

③ イエスは比喩の用い方がとりわけ巧みだ。ユダヤ教を探してみても、この師のよい手本になったものは見当たらない。イエスが独自で編み出した比喩である。もっとも仏典の中に、福音書の比喩とまったく同じ形式で同じことを言っている箇所があるが、仏教の影響がここまで及んでいたとは認めがたい。仏教にも発生期のキリスト教にも温雅で奥深い精神が共通したあったということ、両者の類似を説明するには、それで十分であろう・・㌻121

④ 仏教でいう解脱 
だから神の国とは、善に他ならない。今あるよりもすぐれた秩序であり、正義の世である。信仰あつき者なら、その力量に応じて建立に力を添えることができるはずのものである。それはまた魂の自由であって、仏教でいう『解脱』に近く、煩悩を去った成果である・・・(㌻193)

◆ 以上がルナンの『イエス伝』に引用されているヨガや仏教に対する文章ですが、何故に『イエス伝』を書く上で、上記のような東洋の宗教や仏教の引用が必要であるのだろうかと考えた場合、ルナンのような合理的な方法で福音書の中に隠されているナザレのイエスの真実の姿を濾過するのであれば、その濾過したイエス像は、仏教に近くなっているということなのかもしれないとルナン自身、自らそのように言語化はしていないけれど、何かを感じていたのだろうと思われてなりません。

◆ そして不思議とこのような雰囲気を醸し出す微妙なルナンの『イエス伝』をヴァン・ゴッホが十代二十代そして生涯にわたって影響を受けていたと思うと、ゴッホは人生の若い時期より、ナザレのイエスと永遠の仏陀を結びつけるために必要な感覚的知識を自然に身につけていたのだと思われてならないのです。ゴッホは、ルナンを土台に、さらにその上の仏教の世界を求めたのだと思います。
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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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