五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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ヴィクトル・ユーゴー『レミゼラブル』の精神の中には、                           ジャポニスムの影響があった!?

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◆ 上記は、19世紀フランス文豪ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』です。先日新しいミュージカル版のものを映画館で見てきましたが、以前見たジャン・バルジャンがリーアム・ニーソンで、ファンティーヌがユマ・サーマンのほうが、とても理知的な雰囲気で私は好きなのですが・・・と言うのは、リーアム・ニーソンのほうが、もともと善人だったのが、反対に囚人に落とされたと言う雰囲気があるからです。

◆ しかし、今回のXマンのヒュー・ジャクマンのほうが、さすがにリアリティーがあり、ジャン・バルジャンの脱走囚人の荒々しい雰囲気がありました。でもこちらは、根っからの囚人と言う感じなので、やはりリーアム・ニーソンのほうがよいです。また19世紀パリの労働者や娼婦などの下層階級の姿が現実的に描かれているような気がしました。

◆ 映画のパンフレットを見ると、英仏海峡に浮かぶイギリスの島に亡命していたユーゴーに対して奥さんが次のような手紙を書いてるようです。

『 こんな話を聞きました。いくつもの工場で労働者たちが1フラン(日給の半分の金額、現在の日本の金額で1000円見当)ずつ出し合い、12フラン(12000円見当)をサックに入れて「レ・ミゼラブル」を買いに行きます。

 みんなでくじ引きをして、くじに当たった者が、みんなが回し読みをしたあとに「レ・ミゼラブル」を自分のものにするそうです。(中略) 遠くにおられたのではよくお分かりにならないでしょうが、「レ・ミゼラブル」は社会のあらゆる階層で比類ない感動を呼びおこしています。』と書かれています。

 そしてこの『レ・ミゼラブル』の小説は、1862年の出版から1868年の7年間で51万七千フラン(日本円で五億1700万円)純利益があったとパンフには書かれていました。

◆ 上記のユーゴーに宛てた奥さんの手紙を読むと本当にフランス全体が、この『レ・ミゼラブル』というユーゴーの書いた小説を多くの労働者やあらゆる社会階級の人々が共感を持って読み、この小説がフランス全土にに大きな影響を与えたということが伝わって来ます。

◆ これはある意味では、暴力革命や軍事力にはよらないフランスで起きた本当の意味の精神的なフランス革命の姿ではないでしょうか。さらに個人的意見ですが、ある意味ではこれは、フランス文学の上でのジャポニスムと呼べるかもしれません。理由は追々・・・と。

◆ そして多くの人々が、この小説の中に描かれている一つのパンを盗んだことから、19年間自由を失った脱獄囚人ジャン・バルジャンと娼婦になってしまったファンティーヌの姿の中に自分自身の姿を重ね合わせて、その無情で悲惨な境遇の中で、『内なる善』を守りながらそれぞれの宿命を乗り越えようとする生命の姿に感動するからであると思います。

◆ またジャン・バルジャンは、自分の身代わりに捕まった人間の無実をはらすために、真実のために、自らの築き上げてきた市長としての富と名声を捨ててしまうのですから、そのような生き方は普通の人間にはとてもできない生き方です。世間的にみれば、あえて自分の社会的地位を捨ててまで、下層階級の底に沈んでいる愚かな人のために、自分が以前の脱走囚人に位置に戻り、ジャベール警部に負われる身となってしまうのですから。

◆ ジャン・バルジャンは、自分の身代わりに裁判を受ける愚かな人の姿の中にかって自分の姿を見たのでしょうか。しかし、そしてそのような愚かな自分のために、自らの富を無償で捨ててくれる人が、ジャン・バルジャンが脱走囚人であった時にいたのです。その人はジャン・バルジャンに銀器を与え、『新しい人間』に生まれ変われるように、自分の魂を悪の道から救ってくれたミリエル神父でした。
 
( 私はその中で、ミリエル神父が、ジャン・バルジャンに、銀のスプーンや銀の燭台、銀の器などの銀製品を与えることによって、悪の世界からジャン・バルジャンの魂を買い上げたのだと述べていることがとても印象深く残っています。ジャン・バルジャンは、修道院の中でその死の淵にある時に、ミリエル神父から『新しい人間』になるために与えられた銀の燭台を飾ってあった姿を見ると更に印象深くなるのです。それは新約聖書では、ユダが銀貨でイエスをユダヤ律法議会に売り渡したこととは、反対に銀貨である銀器によって、ジャン・バルジャンを悪の道から引き戻すことを述べているからです。)

◆ そして今度は、自分がミリエル神父の立場となって、その一人の男性の無実の証明のために、自らの富と社会的地位を捨ててまでも、その人が自分の身代わりに冤罪となってしまうことから助けだそうとするのです。また自らが築いた工場の資産や株式は、従業員の労働者全員に譲渡してしまい、さらにファンティーヌと愛の約束のために、最後までファンティーヌの子供・コゼットの幸福を果たそうとする。

◆ 結局、ジャン・バルジャンは、自らが『新しい人間』になるためのきっかけを与えてくれたミリエル神父の生き方を、自らの生き方の中として取り入れて、生涯その恩義に生きた人のように思えてきます。もし、ジャン・バルジャンが、あの時ミリエル神父に出会っていなければ、『あたらしい人間』に生まれ変わることができなかったと思います。確かジャン・バルジャンは、ミリエル神父から貰った銀器は、大切に保管していたと思います。

◆ でもヴィクトル・ユゴーは、どのようにして、このようなジャン・バルジャンと言うキャラクターを新しく創造できたのでしょうか。このような主人公が、これまでのフランス文学史の中で存在していたのでしょうか。私は、ジャン・バルジャンが、どうしてこのような社会的地位と名誉と富の放棄を行う選択ができたのか、その理由については深く語られていない謎のように思います。

◆ 因みにある本によると、ジャン・バルジャンについては、当時のパリにいた『ヴィドック』と言う実在する人物をモデルに作られたもので、ヴィドックとは、もともと盗賊であった人間なのですが、その後足を洗ってパリ警察の警部までに登り詰めた人で、ユーゴーは彼ををモデルに、ジャン・バルジャンというキャラクターを作り出したとされています。またヴィドックについては、現在DVDが出ています。

◆ また娼婦ファンティーヌの物語についても、まったくの架空の物語ではなく、それは当時のパリ市内でユーゴーが実際に体験した出来事が元になって、レ・ミゼラブルの物語の中に組み込まれているのです。因みにある本によると、パリの夕暮れに、新入りの娼婦が立ちんぼをしていた処、通行人がその娼婦の襟元に雪を入れるという出来事が起きたのです。

◆ その娼婦は警察官に救いを求めたのですが、反対に通行人が歩行するのを邪魔をしたということで、警察に連行されて、その場合には禁固6ヶ月の服役となるそうなのですが、この出来事をユーゴー自身がその現場を目撃しているのです。

◆ そしてユーゴーはその新入りの娼婦を助けるために、その警察官に向かって自分の『子爵貴族院議員』という身分を明かして、その娼婦をその場で無罪釈放させて救い、その娼婦は感謝のあまり泣き崩れてしまったと言う出来事があって、ユーゴーはその娼婦に起きた出来事をファンティーヌの物語に組み込んでいるようなのです。

◆ そのようなことで、ジャン・バルジャンにしてもファンティーヌにしても、まったく架空の存在ということではなく、当時にパリにあった実在した人物がモデルとなって作られていて、レ・ミゼラブルを読む当時の人々にとっては、ある意味では、自分の生活環境の中で起きている事件でもあり、物語の世界と現実の世界の地続き感が深く感じられる現実感のあるまったくの架空ではない小説であったと思われるのです。

◆ そこで、このミリエル神父について、実際の書籍から調べてゆくと、だれが具体的モデルになっているのか、そのような人物がいるのかわかりませんが、唯一言えることは、福音書の中に残されている本来のナザレのイエスが行った『貧しい人々・病人や娼婦などの人々』を助けようとした生き方そのものが、ミリエル神父の姿を顕しているということは、だれが見ても間違いないことでしょう。

◆ 実は、書物の中では、このミリエル神父の修道院の隣には、施療院(病院)があって、患者が26人入っていたけれども、神父がその部屋を見た時には、ベットがギスギスの状態の狭い部屋であって、それに比べて神父の食事を取る修道院の中の部屋は、反対にベットが60床も入るということで、ミリエル神父は、施病院の病院長を呼んで、修道院の建物と施療院の建物を交換して、神父が狭い部屋に住んだということが書かれています。

◆ そのようなことで、ミリエル神父という人のキャラクターは、カトリック教会の神父なのですが、キリスト教の信仰や教義とかについて厳格に研究をしてゆく典型的な修道院の神父の姿と言うよりも、どちらかというとナザレのイエスが実践したことを、具体的に行動を持って行ってゆくことを赴きを置いた人のように思えます。

◆ それは現代的に表現するのであれば、キリスト教の医療社会福祉の実践者の世界であると思いますし、もっと身近な例で言えば、画家になる前のヴィセント・ファン・ゴッホが炭坑の町で行っていた炭坑労働者達に対する社会的援助活動と同じ側面を少し持っていたのかもしれません。

◆ しかし、この神父はカトリック教会の神父になのですが、少し変わっています。書籍では、『彼の信仰』『彼の思想』という処に書かれていますが、この神父さんは庭を散歩していて、地面を歩く一匹の蜘蛛の死後のことについて考えて、その転生輪廻について少し悩む人なのです。そして自然界にある全ての生き物に対して慈悲を持つような人で、汎神論的な見方を少しする人であると述べられています。

◆ それでは、上記のようなレ・ミゼラブルとこれまで述べてきましたジャポニスム・日本主義がどのような形で関係してくると言えるのでしょうか。だれもレ・ミゼラブルとジャポニスムが関係していると述べている人はいないと思います。

◆ また多くの日本人が、レ・ミゼラブルのミュージカルや映画を見て感動していますが、レ・ミゼラブルのバックグランドに、ジャポニスムがあるということに気付いている日本人は、だれもいないのです。先日、五井野正博士の講演会を聞いた時に、レ・ミゼラブルと印象派やジャポニスムの関係について、少し言及されていたような気がします。

◆ でも現在の私たち日本人は、ユーゴーの描いた『レ・ミゼラブル』が生まれた社会的背景に、ジャポニスムがあるということに気付く必要性があると私には、どうしても必要に思えてなりません。何故なら、以前の博士の講演の中で『フランス』と言う国を『仏』と漢字で顕わされていることには意味があるのだということを話をされていたからです。それはフランスは、仏の国、或いは釈迦仏の国という意味が込められているのでしょうか!?そのようなことで、日本人は、レ・ミゼラブルの背景には、ジャポニスムがあったと気付くべきであると個人的に思います。
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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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