五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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シルクロードを通って日本に来た東洋のキリスト教                                                                                     久保田早紀・異邦人の曲から見えてくるもの(日本美術)                                                                     広隆寺・弥勒菩薩像の三位一体の景教の手印      


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 ( 上記はシルクロードを移動してゆくジプシーの女性のイメージを詠った『異邦人』の久保田早紀、下段は、有名な京都・広隆寺の弥勒菩薩・半伽思惟像です。この弥勒菩薩像の手印の美しい姿の中には、東洋のキリスト教・景教が仏教と習合して日本に伝わったことを今日では美術品として私たちは見ることができます。手印は、キリスト教で説く三位一体を顕しています。)

◆  五井野正博士の著作である『七次元よりの使者・第0巻』を読むと、西洋のロダンの『考える人』と東洋の日本の『弥勒菩薩半伽思惟像』の対比が述べられています。今回のテーマは、その弥勒菩薩半伽思惟像の故事来歴の話です。

◆ そして上段の写真は、あの『異邦人』の歌を歌った久保田早紀ですが、(現在は、久米小百合になっています。)私は、大学三年生の時に『異邦人』の曲を聴いてから、ずっと久保田早紀の曲が好きになりました。しかしそれは全部ではなく、本当に異邦人として売り出した頃の初期のものだけです。例えば『ジャクグリラ』『二十五時』『天界』などの作品で、どちらかと言うと、彼女の歌の中に、星に関するジプシー的イメージを放っている初期の作品のみが好きなのです。



( 上記は、久保田早紀の25時と天界ですが、25時については、ロトの妻が振り返って街を見てしまった時に、塩柱となって崩れてしまったという旧約聖書の逸話の世界を暗示しており、また天界については、めぐり合いの輪廻について深く歌われていて、男女を超えた出会い、つまりキリストと出会うことについて示唆しているように何故か聞こえてきます。)

◆ それから相当時間が経過してから、五井野正博士の著書『科学から芸術へ』の中に書かれていますが、日本とアルメニアの関係性について、とても関心を持つようになりました。それはアルメニアが世界で最初のキリスト教国家で、新約聖書の原典が数多く残されている国ということで、日本に来たとされるイスラエル十部族との関係で調べてゆくこと、厳密にはイスラエルと言うよりも、アッシリアやアルメニアから日本に来た人々がいるようなことがわかりました。

◆ そしてこれは個人的解釈ですが、もともと宗教民族の移動とは、旧約聖書のモーゼのエクソダスの問題でもわかるように、無目的に流浪してシルクロードを旅をしてきたのではなく、必ず宗教的預言に従って移動した来たということです。ですから、日本に来た景教の流れの人々も、必ずその宗教的預言に対する強い信念と信仰があって、シルクロードを移動してきたのです。

◆ そのようなことで、景教つまり東洋のキリスト教の流れについて調べ始めたるようになってから、日本のキリスト教会の牧師さんや神父さんの中にも、このような古代日本に西アジアから日本に来たイスラエル十部族などのことを信じる人々がいて、そのような人々の集まりやセミナーにはよく参加して、いろいろなことを学んできました。

 参考資料・初代ホーリネス教会中田重治監督ホーリネス教会分裂

(上記、初代ホーリネス教会の中田重治監督は、【聖書より見たる日本】の著書を顕わして、日本が神の摂理の中に位置づけられている国であることを、西洋のキリスト教会の歴史観の中で物事を判断している日本のキリスト教会の中で堂々と主張した。そのためにホーリネス教会は、二つに意見が分裂して、それがそのままホーリネス教会の分裂に繋がることに発展した。)

◆ それによると東洋のキリスト教・景教の特色とは、その移動して来た地域地域で、彼らは病院などの医療施設や福祉施設を造ってきたということです。恐らくこのような景教の思想は、聖徳太子の四天王寺における四箇院も日本に来た景教徒の影響によるものだと思っています。四箇院とは、療病院、施薬院、悲田院、敬田院を顕します。これらは現代では病院、製薬、福祉施設、学校の施設を意味しています。 

◆ そしてそのような中で、始めに思い出された感覚が、久保田早紀の『異邦人』の歌であったのです。あの歌は、シルクロードを移動してくるジブシーの女性の心を歌ったものであるけれども、そのジプシーとは、もしかしたら東洋のキリスト教である景教の信仰をしている女性のことを無意識的に彼女は音楽を通して表現したいたのではないかと思うようになったのです。

◆ もちろん、これは個人的感覚にすぎませんが、ブログをいろいろ見ていると私と同じように感じている人が他にもいたので、あの曲はシルクロードをある宗教預言に従って日の本の国・日本まで移動してくる景教と言う宗教民族の中に生きているジプシーの女性の気持ちを、久保田早紀が潜在意識で感じて音として表現したのだと思うようになりました。

◆ そしてそれからまたしばらくして、私の知人に久保田早紀の歌が好きな人がいて、その人の奥さんが久保田早紀と知り合いのようで、その知人から聞いた話として、彼女は『クリスチャン』であると聞いたのです。私は大学三年生の時に、あの『異邦人』の曲を聴いてから、彼女があの曲を歌っていた頃から、もともとクリスチャンの信仰を持っていた人だったということを知って、これまで異邦人の曲を聴いて、私が感じていたことは、やはり本当だったのだと思うようになったのです。

◆ つまり、彼女り潜在意識か過去世の世界でそのようなことがあって、それを音楽として表現した。あの曲は、異教的雰囲気を放つ曲であり、クリスチャンの信仰を持つ彼女にとっては、あまり好きではない曲のように以前、コメントとしていた理由が、私の中では理解できたのですが、それは少し微妙で、彼女の異邦人などの初期の音楽は、非キリスト教的な異教の音楽ではなく、実はそれが東洋のキリスト教である景教の信仰を持つ女性のイメージではなかったのかと思うようになったのです。

◆ ですから、おかしな話ですが、東洋のキリスト教・景教と言うと彼女のイメージや異邦人の曲がたぶって見えてくるくるのです。それで上記の黒衣をまとう久保田早紀の写真には、十字架のシンボルが入っている写真を見つめて、私と同じように景教のイメージを彼女の歌の世界に重ねている人が、彼女がキリスト教徒であったと知ったら驚くだろうなーと思っているのです。

◆ しかし、それでは日本に来たその宗教民族は、なんのためにシルクロードを移動して日本まで来たのか、その理由が、ある宗教的預言のためであり、それは恐らくその預言書の中に、救世主の到来が『日の出る国、日の本の国、そして東の島々の中に一人の者が起きる。』と言う旧約聖書の中で一番大きな意味を持つ『イザヤ書』の預言に従って、極東の国・日本まで来たのです。

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(上記は、アース・ウィンドウ・ファイアーの『太陽神』ジャケットで、太陽神が日の本の国・日本に到来したことを、1977年に世界に向けて発信したイラスト。もともとの日本人の精神世界の原点は、全てこの中に示されている。それは、仏教・キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教などの過去の全ての宗教経典の意味を解き明かす者の到来でもある。)

◆ 救世主の預言については、ナザレのイエスがイザヤ書の預言に従って誕生されたということが、クリスチャンの中では言われていますが、イザヤ書をよく読んでゆくと、救世主が誕生して起きる処とは、イザヤ書では明確に『東の島々』と表現していているのです。つまり古代ユダヤのイザヤの預言の救世主の到来の場所は、イスラエルではなく、実は東の島々・日の本の国であると述べているのです。

◆ 私は、このイザヤ書の解釈を当時のイスラエルの人々は、イエスを正当化するために、イザヤ書で明記している『東の島々』の記述を無視して解釈したのではないのかとそのような思想を信じて教会活動をされている前衛的な牧師先生に質問したところ、やはり微妙な表情となったのです。それは、イザヤ書を正しく理解して解釈するのであれば、ナザレのイエスは救世主ではないということを意味してしまい、それは現在のキリスト教信仰を壊してしまう問題となるからです。

◆ ですから、日本のキリスト教会の中で、イスラエル十部族が日本にシルクロードを通して来たということを理解できる人々でさえも、イザヤ書の記述をそのまま信じて、この東の島々・日の本の日出る国の中に『一人者が起きる。』つまり、この日本の中に救世主の到来があると信じる人は、皆無なのです。そしてそれが現在の日本のキリスト教会の姿であり、この姿とは、シルクロードを通してそのイザヤ書の中に書かれた宗教預言を信じて日本まではるばる旅をしてきた日本に来た古代ユダヤ教の人々とその影響を受けた景教徒の人々の信仰心や宗教的信念とは、まったく正反対のものであることになってしまったのです。

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( 上記のイラストは、アース・ウィンドウ・ファイアーの『太陽神』ジャケットのイラストで、太陽神が具えている十二の社会的属性を顕わしてる。そしてその太陽神とは、エジプトのスフィンクスが東方の国である日【火】の本の方角を向いており、古代ユダヤの預言書であるイザヤ書では、その日の本の国に救世主の到来を預言して、その預言を信じる宗教民族がシルクロードの道を東方・到来神を求めて民族移動をして来たのである。)

◆ もちろん、このイザヤ書の預言に従って移動してきた古代ユダヤ教の人々と東洋のキリスト教・景教の流れの人々とは、日本に来たとされる時期には現実にはかなりの時間的ずれがあるのですが、そしてその景教の人々が、この日本が救世主の到来がある国と信じてイザヤ書の預言を理解して、シルクロードを移動してきたのかということも、よくわからないことですが、いずれにしても、シルクロードをある宗教的動機によって移動してきたと考えてもよいのではないかと私は個人的には思っています。(考古学的立証はできませんが・・・しかし)

◆ 何故なら、その当時の人々のそのわからない内面の信仰の世界とは、それが美術や芸術と言う具体的作品となって、具体的な形として、その信仰心が顕されているのであれば、当時の景教徒の人々の内面性や信仰心がどのうよなものであったのかということを知る手がかりが、下段の写真である京都・広隆寺の弥勒菩薩半伽思惟像なのです。

◆ この弥勒菩薩半伽思惟像は、同じような姿の弥勒菩薩像が朝鮮半島の新羅にもあり、人によっては、共通した信仰形態があったのではないかという説もあります。弥勒菩薩とは、五十六億七千年後の地球の次のサイクルにこの地球に降りてくる菩薩です。ですからこの像はその弥勒信仰を顕しています。しかし、問題なのは、その弥勒菩薩が組む手印の姿なのです。

◆ これまでこの手印の持つ意味がわかりませんでしたが、実はご存じの方もいらっしゃると思いますが、中国の敦厚で景教に関係している壁画が発見され、その中に描かれている景教の僧侶が、実はこの弥勒菩薩半伽思惟像の手印の形を組んでいたのです。そしてその手印は、キリスト教の『父と子と聖霊』を顕す三位一体を顕す手印による宗教的シンボルであったことが次第にわかってきたのです。

◆ 表向き、弥勒菩薩とは、仏教の弥勒信仰を顕していますが、その弥勒に三位一体の手印の姿を取らせることによって、この仏像の制作者は、仏教の弥勒信仰の中に、東洋のキリスト教である景教の信仰を、その手印の姿を通して、この仏像の姿の中にキリスト教の信仰を内面に隠して、その手印が解らないと、この弥勒信仰の意味がわからなくしてあるのです。

◆ でも、この方法って、どこかで見たことがありませんか。それはダ・ビンチのモナリザやヴィセント・ファン・ゴッホのジャポニスムの日本文字の書かれた作品、これらはその絵画の中に意味を隠しました。しかし、この弥勒菩薩の制作者は、弥勒信仰を顕す仏像の中に、景教の信仰を隠したのです。或いは隠したのでなく、そこには仏教と景教が混じり合った、仏教と東洋のキリスト教が混じり合った信仰の世界が当時存在していたことの証ではないでしょうか。

◆ 私は個人的には、聖徳太子の世界とは、そのような世界、仏教と東洋のキリスト教が混じり合った世界ではなかったのかと思っています。それは聖徳太子信仰の世界が、新約聖書の影響を受けているということは、よく言われていることですし、蘇我馬子と言う名前も、ナザレのイエスに関係しているのではないかと言う説は、飛鳥昭雄氏などが述べていることですので、この説がまったくの誤りであるとは言えないと思うのです。



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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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