五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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五井野正博士『ジャポニスムとは、日本主義である。』                                                                                ロシアにおけるジャポニスム・アンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』について考える。

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 アンドレイ・タルコフスキー(ロシア語:Андрей Арсеньевич Тарковский, アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー, 英語:Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日)は、ソ連の映画監督である。叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した独特の映像美で知られる。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。表現の自由を求めてソ連を亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。

『サクリファイス』(英語題: The Sacrifice, スウェーデン語題: Offret)は、1986年にロシア人映画監督のアンドレイ・タルコフスキーが制作したスウェーデン映画である。当作品は1986年の第39回カンヌ国際映画祭において絶賛され、審査員特別グランプリを初めとする4賞を独占して受賞した。しかしタルコフスキーはこの映画の完成後、病床に伏し、同年暮に故国にも戻れぬままパリで亡くなり、遺作となった。

舞台はスウェーデンのゴトランド島。舞台俳優の名声を捨てたアレクサンデルは、妻アデライデと娘マルタ、息子の少年(喉の手術をしたため、映画の最後まで口をきけない設定)と暮らしている。家には小間使いのジュリア、召使いのマリアもいる。アデライデは夫への不満を抱き、夫婦は不仲である。今日はアレクサンデルの誕生日。彼は”子供”と一緒に枯れた松の木を植え、枯れた木に3年間水をやり続けて甦らせた僧の伝説を話す。
                                 ( ウィキペディアより )


 『サクリファイス』とは、ロシア正教の神髄を顕した映画

◆ 上段の絵画は、レオナルド・ダビンチの東方の三博士の絵です。中央の女性が聖母マリアで、彼女が抱いている幼子が、キリストを顕しています。この絵は実は完成されていない絵なのですが、このキリストを抱く聖母の周りには、東方の三博士が、黄金、乳香 没薬を持参してキリスト生誕を祝い会いに来ているのです。オムネク・オネクは、この三博士がどこから来たか、聞いたら驚くようなコメントをしていますが、とても興味深い話です。

◆ さてこのキリストを抱く聖母マリアの背後には、一本の緑豊かな木があるのですが、タルコフスキーは、このキリスト生誕の背景にある木を、生命の木に見立てています。そしてその見立てを使って、映画のプロローグでは、その木の映像をだぶらせて、その生命の木が、現実は枯れてしまっている生命の木として、このサクリファイスの映画が始まるのです。そしてその登場人物とは、全てダビンチの絵画の世界の人物を投影させて、映画の世界に登場させて、実は絵画の世界の物語を現実の映画の登場人物に置き換えているのです。

◆ ですから、このダビンチの絵画がとうして初めてに長く出てくるのか、特に東方の三博士がキリストに捧げものをしている処が重要であり、この絵画の世界が映画の世界に投影されていると気付くとこの映画の持つ本質的意味が見えてきます。それはキリストが映画の中では、子供に置き換えられているということに気付くと、その救世主の業とは、どのようなことをする人であるのかという核の時代の黙示録の時代における救世主の業を具体的にメッセージとして伝えているのです。それは、映画を見ていただくとわかりますが、このダビンチの絵の世界のキリストたが投影されている映画の主人公は、何を具体的にしているのかということなのです。

◆ 次に下段の映画広告は、サクリファイスのものですが、主人公の大学教授が、枯れてしまった生命の木を持っています。彼は日本文化の愛好家であり、彼の子供も日本文化・日本の音楽が好きで、家族のものより、この父と子は、前世が日本人だったのではないと言われています。そしてその持っている枯れてしまっている木も、実は日本の木なのです。

◆ 彼等は、枯れてしまった日本の木を家の近くの美保の松原のような松林の美しい高砂の世界の浜に、この枯れてしまった日本の木を植えるのです。その姿が始めの映画のプロローグなのです。そして父は、その子供に、毎日この枯れてしまった木に水を与えるのであれば、ずっと与え続けるのであれば、いずれこの枯れてしまった日本の木から芽が出ると始めと終わりのシーンに、枯れてしまった生命の木である日本の木に水を与える姿が映るのです。

◆ そこで始めのダビンチの絵画の意味に戻ります。ダビンチの描く救世主であるキリストは、子供の姿をしているのです。そして映画では、その子供にキリストの意味が投影されているのです。そしてキリストの意味を投影された子供のしている行動とは、実は救世主であるキリストの業を間接的に顕しているのです。それではその業とは何か。

◆ それは枯れてしまった生命の木である日本の木を再生させること。これが核の時代の黙示録の預言であり、救世主とは、日本の木を再生する人であるとこの映画は、はっきりとレオナルド・ダビンチの東方の三博士の絵画を使用して預言しているのです。それはまるでタルコフスキーがその三博士のように、どこに救世主がいて、救世主とは、核の時代の黙示録の世界でどのような業を顕す人であるのか、映画を通して発信しているのです。

◆ そしてこれがロシア正教の神髄であり、この映画はチェルノブイリ原発事故があった1986年に発表されてながされたのです。もちろんタルコフスキーはソビエトから亡命していましたから、スェーデン映画としてこの映画は制作されました。。枯れてしまった日本の木の再生をす。核の時代の黙示録の世界でのそれが救世主の業であると主張しているのです。

◆ 私はこの映画を見て、長く意味がわかりませんでしたが、レオナルド・ダビンチの絵画の意味がわかるようになって、始めてタルコフスキーの隠された意図が見えてきました。そしてこれがロシアの芸術家が世界に発信する映像でのメッセージなのかと思ったとき、ロシア芸術の世界とは、現在の日本人の感性とは、比べものにならないほど鋭敏で直観力に優れていると思いました。

◆ 日本人が福沢諭吉の脱亜論の世界に落ちている時にロシアでは、枯れてしまった生命の木である日本の木の再生が重要であり、それを行うの人が救世主の業の姿であると・・・・こんな感性を日本人は持っているのでしょうか。そのようなことでこの映画はロシアにおけるジャポニスムの映画であり、日本の木を再生する人とは、浮世絵の世界を再生する人ということでもあるのです。

◆ 以前より、五井野正博士の『ゴッホの日本文字の解読』や『ゴッホは娼婦と結婚していた』などのゴッホの絵画の謎を解明してゆくことを通して、芸術作品には秘められた暗号・コードが作品の中に秘められていて、その技法は、日本の浮世絵の技法から学んてきたもの教えてもらった私は、ダビンチ・コードなど、これまでの芸術作品に対する見方が変わってしまった。

◆ と言うよりも、芸術家には、本当は伝えたいものがあるけれども、様々な社会的圧力や迫害から、真実を守るために、絵画の中に真実を封印して、開くための鍵を持たないものには、開けないようにするような仕方で結界をしているような感じを受けるようになったのです。

( 以下の文章は、You-Tube へ投稿した私の文章ですが、映画の説明文となっていますので転写しました。)

◆ この枯れたしまった生命の木とは、日本の木を顕しており、その日­本の木を再生させようとする子供の姿は実は『救世主』の業を表現­している。それはこの映画の始めに示されているレオナルド・ダ・­ビンチの一枚の絵の中に、この映画が全てが顕されている。生命の­木が枯れてしまった日本の木であるのから、ダビンチの中に顕され­た救世主とは、主人公の子供に投影され、救世主の業とは、日本の­木の再生を意味しているのである。なんと奥深い映画なのだろうか­。

◆ この映画は1986年のチェルノブイリ原発事故の時に作られたロ­シア正教の神髄を映像で顕したとてつもなく奥深いメッセージが込­められた映画である。その神髄とは、生命の木である日本の木の再­生であり、私たちに救世主とは、救世主の業とは、日本の木の再生­をする人であるということを、ダビンチの絵画を通して、一人の救­世主の投影である子供の姿に顕しているのである。そしてこれがロ­シア正教の神髄の預言なのである。

◆  どうして、最後の場面の中で枯れてしまった木の背景に、太陽が光­り輝くのたろう。それは、その枯れてしまった生命の木である日本­の木、日の本の木を映像で顕しているといえる。ロシア人が日本の­木の再生を遺言として残す映画を、私たち日本人はこの映画の心を­どれだけ、理解することができるのだろうか。タルコフスキーは『ジャポニスム・日本主義』の神髄を深く理解し、その預言をダビン­チの絵画を通して、だれでも理解できるように寓話で表現した。

◆ こ­の映画の映像の謎を解く鍵は、全て始めのダビンチの一枚の絵画の­中にはっきりと示されている。このダビンチの描く救世主が映画の­主人公の子供に投影されていると悟るとき、この核の時代の黙示録­の現代文明の中での救世主の業の実体とは、ジャポニズム・日本主­義の再生であり、それは枯れてしまった日本の木の再生の業を実行­する人が救世主であり、その業を芸術という形で救世主の到来をあ­らわすことこそ、ロシア正教の神髄である。現在の無神論者の日本­人にどれだけ、この作者の心が理解できるのだろう。どれだけの遺­言のメッセージが理解できただろうか。

◆ このサクリファイスの映画は、日本のクリスチャンの人々に広く理­解してもらいたいと思う。或いは、日本のロシア正教の人々に広く­理解してもらいたい。この映画の中で示されていることは、ジャポ­ニスム・日本主義であり、枯れてしまった生命の木である日本の木­の再生でありそれは、ある意味で『逝きし世の面影』の中に顕され­ている失われてしまった日本の本当の江戸時代の光り輝く美しい自­然の世界であり、自然の中で素直に生きている人間の姿でもある。

◆ ­タルコフスキーが晩年、どの世界に向かったのか、それは本当に、­このサクリファイスの中に凝縮して遺言として残されている。それ­は昔の古代東方キリスト教会の中に残されてきた、日の本の国に救­世主の到来があるという思想を深く顕している。そしてそれが東方­正教会のロシア正教の神髄でもあるのだ。

◆ 日本人は気付かないのだろうか。福島原発事故を通して、今日本の­国土が、このような枯れてしまった日本の木となってしまうという­ことを。1986年のチェルノブイリ原発事故の年にこの映画は作­られた。今、日本人は、自分の国の未来の姿が、枯れてしまった日­本の木のようになるかもしれないのに、なにも思わないのだろうか­。枯れてしまった日本の木を再生しょうとすることに、今の時にな­っても敵対して自ら滅びる道を進むのだろうか。この映画の心を感­じることができのであれば、タルコフスキーのメッセージに耳を傾­けてほしい。

タルコフスキー・翼のない飛べない天使




■ 日本文化とタルコフスキーの関係について■ 

以下の文章は、上記『タルコフスキー 若き日 亡命、死』の㌻62よりの引用です。

『・・・・タルコフスキーは映画監督にしかなれない人間だったのです。そして芸術家は、常に自分なりの目で世界を見ようとしますが、タルコフスキーはその能力が人とあまりに違っていたのです。彼の物を見る能力は、自然の一部を切り取る能力なのです。

 その面でタルコフスキーは、日本の文化にとてもひかれていました。日本はタルコフスキーの世界観に深く影響を与えたように思います。50年代に『マルコワ』の翻訳で芭蕉の本が登場しました。芭蕉の俳句を二人で一緒によく読んだものです。その自然観にタルコフスキーは感動していました。日本の浮世絵もよく一緒に見ました。

 日本の文学や美学に特徴的な、普通みおとしてしまいそうなものに目を向けてゆくという心情が、タルコフスキーには近しいものだったのです。後に、『惑星ソラリス』を日本で撮りたいといったのも、日本を訪れるための口実でもあったわけです。』

■ 映画 『サクリファイス』について ■

同書㌻195~196よりの引用

『 私もマリーナと一緒にパリで初めて見ました。その時の思いを一言で言うのは困難です。それはタルコフスキーの最後の心のメッセージでした。この映画の構成や形象、そして題材そのものが、何か最後の予感というものにあふれています。自らの犠牲の予感です。これはタルコフスキーの人生の終末であり、遺言を形にしたものです。そして彼はそれを知っていました。

 この映画は見終わった時に強い感動を与えるばかりではなく、その後長く心に残ります。そして、その中に、彼の創作活動や芸術性の発展の推移を見ることができるのです。そしてその世界観の変化をもです。この映画は、彼の才能が、どこへ向かい、どこへ彼自身を導いたかを、はっきりと物語っています。

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(上記は、スェーデン版の『サクリファイス』の映画のポスター)

 追記

◆ アンドレイ・タルコフスキーの映画と日本との関わりについて、上記のように昨年の8月に一度記述をしましたがそれから、時間の経過とともに、タルコフスキーの映画と日本との関わりについて、様々な人々がブログの中で言及をし始めていて、特に福島原発事故後の日本との関係について、サクリファイスの映画について意味を見出して気付いてきた人々がいるのです。

◆ そのような中で、いろいろと学ぶべき内容もあって、上記に書かれているサクリファイスと日本との関係について、重大なことが欠落していたことに気づき、補足説明ということで、今回追加して、重大な欠落部分について述べたいと思うようになりました。それはタルコフスキーがこの映画の中で表現していることは、普通では信じられないことであるということです。

◆ まず始めに上段の映画のポスターですが、もともとこのサクリファイスの映画は、ソ連邦から西側に亡命をしたタルコフスキーが【スェーデン】という国で撮影をしたスェーデンの映画であるということを始めに私たちは深く認識する必要性があるということです。

◆ そしてその上で、サクリファイスの物語は、その物語の舞台であるスェーデンの一地方となりますが、核戦争が起きた日に、そのスェーデンの海辺の一地方で、枯れてしまった日本の木を植えるという設定となっているのです。タルコフスキーは、確かにロシア人の藝術家であるのですが、このサクリファイスは、スェーデンを舞台としたスェーデンの映画であるのです。

◆ そしてこのように見てゆくと、実は隠されたもう一つの意味が、このサクリファイスの映画の中に見えてくるものがあるのです。それは信じられないことが、恐ろしいほどにシンクロしているものがあるのです。それはスェーデンと日本は深く関係しているということなのです。

◆ サクリファイスの映画の中では、大学教授である父アレキサンデルとその息子は、前世は日本人であったのではないかと述べられているシーンがありますが、それはそのまま信じれば、この二人は現在の日本ではなく、江戸時代の日本から現在のスェーデンに転生輪廻してきた人となります。日本人が北欧のスェーデンに転生輪廻するということは、どこかで聞いて、どこかで読んだことがありませんか。そしてそのスェーデンで、核戦争が起こってしまった日に、日本の木を植えているのです。

◆ そして次に、重大な欠落部分ですが、それは物語の流れの中では、核戦争が勃発してしまった時に、主人公のアレクサンドルは、神に祈りをささげるのですが、実はその翌日になると、朝起きて気付いてみると、まるで何もなかったように、時間が戻ってしまったかのように、核戦争は実は起きていなかったのです。

◆ そしてみんな家族が平和に暮らしていたのです。前日は、スェーデンの首相が国民に向かってテレビで核戦争が起きてしまったことを伝えていたにも関わらず、翌日には時間が戻ってしまったかのように、核戦争は起きていなかったのです。つまり、時間が戻されて、核戦争がなかったことになった。という不思議な物語の流れとなっています。前日のテレビでの核戦争の報道はいったいなんだったのでしよう。

◆ サクリファイスの映画の物語の中では、これは奇跡が起きたとか、超常現象であるとか、神の超自然の力であるとか、いろいろと解釈されていましたが、私が始めてこのサクリファイスの映画を見て理解できなかったことは、前日に政府が核戦争の始まりをテレビで伝えておきながら、翌日には、まるで何事もなかったかのように、時間が戻されて、家族が普通に生活をしていたということなのです。この現象をいったいどのように理解したらよいのか、わからなかったのです。

◆ 映画の世界をそのまま解釈するのであれば、現実には核戦争が起きてしまったけれど、時間が戻って核戦争など起きていず、日々の平和な生活を人々や家族は営んでいて、その中で主人公のアレクサンデルだけが、本当は昨日、核戦争がおきてしまったけれども、アレクサンデルの家のお手伝いさんでもあるマリア(映画の中では、娼婦であるマクダラのマリアを示唆しているらしい)という女性と交わり、そして神に対する犠牲の祈りによって、時間が戻って核戦争が始まってしまったという事実が消えていた。

◆ そして家族や人々の意識の意識からも、昨日の政府の核戦争のテレビ放送の記憶も消えて、通常の日常生活に戻っていた。しかし、主人公のアレクサンデルだけが、この事実を認識していたということになると思います。このことって、どこかでこのような話を聞いたことがないでしょうか。このサクリファイスの中で、もっとも不可解な時間が戻るという現象とは、実は本当にあったことで、タルコフスキー自身がそのことを体験して記憶に残っていたのではないかと思えてくるのです。

◆ 或いは、ロシアやスェーデンには、本当は核戦争が起きていたにも関わらず、時間が戻されてしまい、世界は何もなかったかのように、そして人々から、その時の記憶が意識の中からは消失してしまい、人々は人々の生活をいつものように送っていたけれども、ロシアやスェーデンの人々の中には、その時の記憶を保持している人々がいて、タルコフスキーも実はそのような人々の中の一人か、或いはそのようなことを記憶している人より話を聞いてその真実をサクリファイスの映画の中に寓話として残したのではないかと思えてくるのです。

◆ そしてこの時間が戻って、核戦争の事実が消えて、人々の意識の記憶からも消えていて、一人アレクサンデルだけが、その不思議な事実を知っていて、神に自宅を犠牲にしたことで、今度は反対に人々から、アレクサンデルが気が狂ったと思われ、最後は救急車で搬送されてしまうけれども、マクダラのマリアだけは、そのようなアレクサンデルの信仰による行動を深く理解していたということになるのだと思われるのです。

◆ そしてこのような時間が戻されて核戦争が回避されたという不可思議な現象と前回、レオナルド・ダ・ビンチの東方の三博士の絵画の世界でサクリファイスを分析してゆくという視点を二つ合わせて、この映画の持っている意味を深く見つめてみると、実はこの映画の中には、現実の世界の中で起きた不可思議な現象が顕わされた映画であるということが反対に今になってよく見えてくるのです。

◆ それは現実に起きたことを、ロシア或るはスェーデンの世界には、その時の記憶を持っている人々がいるということを、この映画は寓話として物語っているということなのです。恐らく、この映画の本質は、現在の日本人の感性ではまったく理解できない映画でしょう。何故なら、ロシアやスェーデンの中には、日の本の国・日本に到来した隠された真実を深く理解している人々がいるということを、この映画の存在が物語っているからです。そして現在の日本人は、そのことにまったく気付いていないということなのです。(平成25年6月27日)

サクリファイス(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


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*Comment

No title 

こんにちわ。
いつも素晴らしくためになる文章をありがとうございます。
本文も私ははじめて知りました。本質を追求する人はどこにいても皆おなじように中心者に近づいていくのでしょうね。
是非多くの人に見て欲しくKandaさんのサイトことわりなしにリンクさせていただきました。(すみません)
今後とも宜しくお願い致します。  

No title 

 コメントありがとうごさいました。ハリーさんのサイト、リンクさせていただきました。ロシアの体験のこと
いろいろと書いてください。できれば風景写真とか何かあれば実感が伝わると思います。私は、ロシアにいけなかったので、ロシアの現地体験がありません。だから、それを伝えてください。今後ともよろしくお願い申しあげます。
                                     水の精霊の守り人
  • posted by ハリーさんへ 
  • URL 
  • 2012.09/01 20:28分 
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プロフィール

水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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