五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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五井野正博士『ジャポニスムとは、日本主義である。』             観音霊験記・秩父・小川山 長興寺

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『 本間孫八
 この寺の大檀那の孫八は、家は裕福だがこのような辺鄙な土地に生まれ、和歌の奥義を知らないでいた。孫八は、これを深く悲しみ、この堂に参籠し、終夜和歌の成就を祈っていると、不思議なことに旅僧が訪れ、一緒に終夜籠もり、歌の奥義を語り、また片岡山の化人の歌を講じたりしているうちに、夜明けにはかき消すようにいなくなってしまった。孫八は旅僧は救世観音が姿を変えて出現したものと知り、それにちなんでこの寺を語歌堂と名付けた。
 また信濃国の綿つみの老女が、娘を魔鳥にさらわれてしまい、半狂乱でこの本尊に祈ると、本尊は二十八部衆に命じて、魔鳥より娘を取り返し老女に渡したという。これにより、一般に子返しの観音ともいわれる。』

  
『 昔、本間孫八という人物が、慈覚大師作の准胝観音を安置するための堂宇を、私財をなげうって建立したのに始まるという。ある日、一人の旅人がこの堂に籠もって、孫八と和歌の奥義について語り合った。夜が明け始めたころ、聖徳太子と片岡山の化人との問答に話が及んだ時、突如として旅人は姿を消してしまった。孫八は、旅人が救世観音の化身だったことを悟り、観音堂を語歌堂と名付けたと伝えられる。
 年月を経て、語歌堂が朽ちかけていたころ、行方不明となった養女を捜して、信濃国の老婆がやってきた。そして観音の霊験により、養女と再会することができたので、里人とともに語歌堂を再建した。以来、子返しの観音と呼ばれるようになったという。』

◆ 上記文章は、国際日本文化研究センターのデータベースよりの要約の引用ですが、この観音霊験記は、埼玉県の秩父地方にある観音霊験記の浮世絵となります。

◆ さて、この要約文の中で特に気付くことは、孫八の前に顕れた旅僧との話の中で、孫八が聖徳太子伝歴の物語の中にてでくる片岡山の貧者の話に及んだ処、姿を消してしまって、そのことで孫八は、旅僧が実は聖徳太子の化身である救世観音であったと思った処にあると思います。

◆ この片岡山の貧者の話とは、『聖徳太子伝歴』と言う太子信仰の書物の中に書かれているものですが、その中で太子が片岡山で出会った行き倒れの貧者の人に、衣服や食物を施して、周りの付き人が不思議に思っていた処、後日その行き倒れの貧者は死亡したと太子に伝えられ、太子は悲しんで、その貧者のために墓を作らせて供養したのです。

◆ それを知った太子の側近の者は、どうして一人の行き倒れの貧者に対してそこまでするのですかと太子に質問したところ、太子はその者に墓に言ってその貧者を見てきなさいと述べ、側近の者がその貧者の墓にたどり着くと、そこには貧者の遺体はなく、太子がその貧者に与えた衣類が綺麗に揃えて置いてあったと言う話なのです。

◆ つまり、太子が片岡山で出会った行き倒れの貧者とは、本当は貧者ではなく、聖人か仙人のような人が取っていた仮の姿であり、太子はその貧者と出会った時に、その貧者の内証を覚っていたので、その貧者に対して供養したのだということが後日談として伝えられていると『聖徳太子伝歴』と呼ばれる聖徳太子信仰を顕した書物の中には示されているのです。

◆ そしてこの観音霊験記の中では、その太子の片岡山の貧者が引用されているというわけですが、この観音霊験記の一枚の浮世絵の中にも、聖徳太子伝歴の太子信仰の救世観音信仰が、何気なく織り込まれているわけです。また浮世絵の中ては書かれていませんが、聖徳太子伝歴の中では、太子はその貧者との間に和歌による返答をしているのです。孫八は、その話を旅僧としょうとしたところ、旅僧が消えてしまったのです。それではその和歌とは?伝歴には、次のように書かれています。

聖徳太子 『 しな照るや、片岡山に飯に飢えて、臥せるその旅人あわれ。祖なしに、汝、生りけめや。刺竹の君、速なくも、飯に飢えて臥せるその旅人あわれ。( 片岡山で食に飢えて倒れているその旅人はかわいそうだ。親なしで、そのほうは育ったわけでもあるまいに。いとしい恋人は、とうにいなくなったのか。食に飢えて倒れている旅人は、かわいそうだ。) 』
 
行き倒れの貧者 『 斑鳩の、富の小河の絶えばこそ、我が王の、御名は忘れめ。(斑鳩の宮から流れ出る仏の教えという富の小河は絶えることがないのだから、我が王である太子の御名も、絶えて忘れ去られることはないでしょう。)』
 
◆ 上記がその和歌のやりとりですが、行き倒れの貧者は、文面からすると、まだ若い世代の人のようですが、太子に対する返歌の内容は、とても仏教的内容を含んだものであり、このような返歌を太子に返す人が単なる行き倒れの貧者であるのかなと思いますが、この和歌のやりとりを孫八が旅僧としょうとした時に、その旅僧は消えていたということなのです。そして観音堂を語歌堂としたということです。
 
◆  孫八は、裕福であったけれども僻地のために、和歌の教養もその奥義を知らなかったので、自分の資財を売って建立した観音堂に籠もって祈願していた処、このような観音霊験を体験した。そして旅僧より和歌の奥義とは、聖徳太子とその貧者の返歌の中にあることを気付かされたということになるのかもしれません。

◆ つまり、和歌の奥義とは、貧者が返歌した『仏教を伝える富の小河』がということになるのかもしれません。何故ならその和歌とは、『絶えることがなく永遠』であると述べているからです。つまり、そのような和歌は、時間がいくら経過しても時代が変化しても、けして朽ちることがなく、永劫に残ってゆくということを意味します。そしてそれが和歌の奥義であると伝えているわけです。

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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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