五井野正 博士ファン倶楽部  浮世絵と印象派を通して学ぶ自然世界

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五井野正博士『ジャポニスムとは、日本主義である。』                                西欧キリスト教倫理社会とは反対に、                   貧しい人々・娼婦に教えを説いたナザレのイエス

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( 上段・ミレー晩鐘 中段・ミレー羊飼いの少女ミレーの農村の自然やそこで働く人々を描いた動画 下段 マネのオランピア )

 ◆ 私たちは、これまで印象派について、テレビを見たり、美術館の図録を買って読んだり、様々な書籍を通して学んできたけれども、五井野博士の芸術論講座に参加して聴いた内容について、ほとんど他の研究者からは、けして知り得ない内容であったり、またそこには単なる知識ということではなく、本当は、もっと人間の内面的に奥深くに入ったものがあることに気付いてしまう。

◆ またそれは同時に芸術とは、個人的世界観を顕すものではなく、社会との関係を顕すものであり、芸術の持つ社会性が問われている。それ故に博士の芸術論では、芸術とは、単に絵を描くということだけではなく、美の術による社会変革を意味している。

◆ つまり芸術と社会の関係性に趣きを置いているのであって、このような視点を持つ美術関係者は日本の社会ではいない。何故なら美術が社会変革と深く関係しているという理解のできる画家や美術評論家が日本の社会には存在しないからである。だから反対に印象派の持つ社会運動の側面が見えなくなってしまう。

◆ また、博士の芸術論を聴いて個人的には考えさせられたことは、これまで学んできた日本の印象派や西欧絵画についての見解は、日本人の研究者達が、すべて宗教的側面を無視・否定して、日本人の学校教育の教科書の世界の中で、判断して捉えたきたものであるとようにどうしても思えてしまうようになった。つまり彼等は本当の真実を伝えず、意識的に宗教的側面を濾過して、軽減してその内容を日本に伝えるのである。

◆ ゴッホであるのなら、ゴッホの持つ宗教的側面を濾過して伝えようとする。でもそれをしたら、ゴッホの魂は死んでしまい、ゴッホではないゴッホを日本に紹介している。それは自分の国の宗教思想を無視・否定する人間が、どうしてキリスト教文化圏の世界の文化を理解できるのだろうか。だからその核となる宗教的なものを濾過して、公務員の世界のように色がないようにして日本に紹介する。私は、ゴッホのことを通してそのことを痛く痛感した。

◆ 第一キリスト教倫理社会についての理解がなければ、上記のミレーやマネの絵画の持つ社会的意義すらも理解できないのである。私たちは、なにげなく、これらの絵を見てしまうけれども、西欧の絵画の世界とは、キリスト教の倫理が支配している世界であって、そこには絵のテーマについても、その描き方についても色彩の配色にしても自ずとキリスト教倫理に縛られているということを私たちは、あまりに知らなかったのです。

◆ ですから、ミレーの晩鐘や羊飼いの少女の姿を描いて絵についても、日本人の視点から見てしまうとこの絵の持つ社会的意味が見えない。でも当時のキリスト教倫理社会では、絵画のテーマとは、キリスト教に関する宗教画であったり、ギリシヤ・ローマの古典世界や歴史物であったり、貴族や王族などの人物の絵であったりと、絵画そのものが支配者階級に仕えるものであり、その描き方は、カトリック教会の影響を大きく影響を受けていたのです。


◆ そのような芸術が支配者側の教会や権力に仕えていた時代にあって、画家が支配者側・権力者側の姿や歴史を描くのではなく、一般庶民や労働者階級などの貧しい人々を当時の画家がテーマとして描き、現実にそのような社会階級の人々をモデルとして描くという方法は、これまでの伝統的な西洋画の世界ではありえない話であったのです。

◆ ですから、上野の西洋美術館に行っても、印象派以前の宗教画や人物画の世界を見ても、その絵画に顕されている世界は、当時の支配されていた社会階級の人々、つまり、現実の農民や労働者やさらには、現実の娼婦をモデルとして描いた絵画などは一切なかったのです。絵画や芸術とは、カトリック教会や権力者や貴族階級に仕えるものであって、労働者や農民や娼婦に仕えるものではなかったのです。

◆ そのようなことを始めにふまえるのであれば、ミレーの晩鐘や落ち葉拾い、羊飼いの少女の絵画やマネの現実の娼婦を描いたオランピアは、現実の貧しい人々や娼婦をテーマとした絵画となり、それがこれまでの伝統的絵画の世界に生きていた人々にとっては、許し難い暴挙であり、反動的絵画として大きな衝撃を与えたことは、用意に想像が付くことと思われます。


◆ そしてこのような絵画の基本には、日本の浮世絵の世界に顕されていた世界観や宗教観があったとなれば、当時のカトリック教会やその社会体制から迫害を受けてきたユダヤ資本の人々が、日本の浮世絵や印象派絵画の持つ社会性影響力の力に気付いてきたということもすんなりと理解できるのです。

◆ しかし、ユダヤ資本に限らず、もともとのキリスト教の始まりであるナザレのイエスの生き方を、当時のカトリック教会の支配者達が理解しているのであれば、ナザレのイエスは、紀元前のユダヤ教律法社会の中で、ユダヤ教の教えで救済の対象者ではない人々、つまり貧しい人々や娼婦を対象に教えを説いたのです。豊かな人々や権力者や貴族階級に教えを説いたのではないのです。

◆ つまりユダヤ教の人々が認定している【罪人】を対象にナザレのイエスは教えを説いていったので、19世紀の印象派の人々もナザレのイエスと同じように、現実の貧しい人々や娼婦を絵画のテーマとして描き、彼らの社会階級の人権擁護のために、絵画による社会運動をしてゆくその魂は、ナザレのイエスの魂に沿ったものであるとよく理解できるのです。

◆ そしてそれは当時のカトリック教会のキリスト教倫理に支配されていた為政者側に付くアカデミックな画家の人々よりも、印象派の人々のほうが、ナザレのイエスに近い生き方をしているということが反対に解ってくるのです。
 

◆ だから、このような視点で見てゆくと、キリスト教会の牧師の息子であり、牧師になることを希望していたゴッホが、ナザレのイエスの教えに従って、農民や貧しい人々を描こうとする動機がよく理解できるのです。

◆ また印象派を通して、ナザレのイエスの姿について改めて考えることになり、紀元前のユダヤ教律法社会と19世紀のキリスト教倫理社会、ナザレのイエスとゴッホの姿がどこかでシンクロしているような気もしてくるのです。

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水と木の精霊の守り人

Author:水と木の精霊の守り人
 浮世絵の中に描かれている宗教・歴史・信仰・民俗学・古典などに深い関心があり、『精霊の守り人』のファンです。また、浮世絵の影響を受けたフランス印象派やジャポニスムに関心を持っています。
( Impressionnistesとは、正しい翻訳では、印象派と訳すのではなく、フランスの浮世絵師と訳すのが正しい翻訳であるそうです )
特に浮世絵の研究者でもあり、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士のファンの一人です。博士の講演の中で、ジャポニスムとは、日本趣味ではなく正しくは、~イズム(ism)とはその人の生き方・精神を顕わして日本趣味ではなく、日本主義と訳すのが正しい翻訳であるそうです。また内部被曝問題に関心があります。日本GAP・アダムスキーやオムネク・オネクに関心を持っています。

◆ このファンサイトの主旨
 
 このファンサイトは、ロシア国立芸術アカデミー名誉会員の五井野正博士の個人的・非公式非公認ファンサイトです。これまで博士の芸術論講座や講演会に筆者が参加して、個人的に主観的に思ったこと考えたことが書かれています。ですから客観的な公式・公認の情報ではありません。

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